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今月の言葉

2013年9月1日

冥土

あの世の話である。

 民族、宗教によって、あの世の捉え方は様々に異なる。 我が国の神話では、あの世は黄泉の国、あるいは常世の国とも言う。黄泉の国は、黄泉比良坂(よもつひらさか)を通じてこの世とつながっている。イザナギが死んだ妻イザナミを追いかけて冥土に行き、変わり果てた姿に驚いてこの世に戻ってきた時には黄泉比良坂を駆け下りてきたことを示唆する記述がある由なので、通常考えられているように黄泉の国は地下にあるのではなく、雲の上にあるのかもしれない。が、いずれにしても、黄泉の国はひんやりとして暗いところだというイメージがある。この、暗くてひんやりというイメージは、ギリシア神話のプルートーが支配する冥府なども同様である。

 なお、これら神話の冥府は、勧善懲悪の倫理とは関係がない。すなわち生前悪事を為した者は、死後より酷い来世が待っていることを示すものではない。が、これが宗教となると、はっきり現世の行いの善悪が、来世に影響を与える。

 もっとも、よく知られているのは、キリスト教の「最後の審判」で、この世に終わりがくるとき、すべての死者は再度全能の神の前に生まれ出でて、この世で為した行いについて審判を受けるのである。

 審判の結果によっては、永遠の生命を与えられたり、地獄に落とされたりもする。

 イスラム教もほぼ同断であり、アラーはこの世に終わりがくるとき、天使イスラフィールに命じてスール(喇叭のようなものらしい)を吹き鳴らさせる。で、そのスールの音と共に、アラーに望まれないものは消えてしまい、望まれた者だけが来世アーヒラの生命を得るのだという。

 あの世について、もっとも複雑なことを説くのは、仏教である。仏教も宗派によって、あの世の捉え方は違うが、基本的なコンセプト天上道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道は、皆この世にある世界であって、生きとし生けるものは皆、この世の行いによって死後六道のいずれかに生まれ変わる、すなわち転生するのである。転生した者は、過去の生命の記憶を持たないのであるから、どうして転生したと証明できるのか、疑問があるところだが、ともかく前世の因果が、この世に応報するということになっており、さらに現世の因果は来世に応報するのである。もし今の世を生きていて「自分はなぜこんな運命なのか」あるいは「なぜこんなに幸せなのか」とか思うとすれば、それは皆前世の行いの応報なのである。

 そうやって、死んでは転生する輪廻を繰り返す生命の営みに「やりきれない」「やってられない」と思われる向きもあるだろう。輪廻そのものを苦悩ととらえ、その輪廻から脱出しようとする試みを解脱という。解脱したらどうなるか、は、あまり詳しくはわからない。が、どうも「涅槃寂静(ねはんじゃくしょう)の境地」に入って、ずっと落ち着いた心でいられるというのが、悟りであり解脱であるらしい。

 「大般涅槃経」では、煩悩の炎を消して無我無常の境地に入ることが、悟りであるという。 キリスト教の天国は「酒はうまいしネエチャンは綺麗」なのかどうかは知らないが、まあ現世の善行の代償に煩悩が満たされる世界のようだ。が、仏教のそれはむしろ、まあ芸能人が引退して有為転変のドラマから脱出し、普通のくらしに戻るイメージに近いかもしれない。