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今月の言葉

2016年11月1日

裁判員制度

映画TED2を見てきた。

 TEDは、魂の入ったテディベアのお話しである。まず、前作TEDを簡単に紹介する。

 ボストン郊外に住む少年ジョンは、1985年のクリスマスプレゼントに貰ったテディベアのぬいぐるみを愛し、魂が宿るようにと祈る。その願いが叶って翌朝くまは友達のように口をきく存在になっていた。TEDは一躍町の人気者になり、テレビなどにも出演するがやがて飽きられ、世間も騒がなくなる。それから27年、2012年のボストン。うだつの上がらない中年男ジョンと、親友のTEDは一緒に暮らしている。休日にはマリファナをふかす不良中年の二人。が、ジョンの恋人ローリーに素行不良をとがめられ、出て行ってほしいと言われたTEDはジョンの部屋を離れて、スーパーマーケットに就職、独身生活を始める。そこにTEDを狙う変質者が現れ・・というようなお話し。他愛がないと言えば言えるが、アメリカの中産階級下層のあまり上品でない暮らしや言葉が実によく描かれていて、「あ、これが民主党のアメリカなんだな」と妙に納得させられる。(それに比べれば、本誌「今月の書棚」がしばらく前に取り上げたジャック・ライアンシリーズなどは、明らかに共和党のアメリカの世界である)

 さて、TED2では、スーパーのレジ打ちの女の子と結婚したTEDが、ちょっとした夫婦喧嘩が元で、子供を持ちたいと思うところから始まる。ぬいぐるみTEDに生殖能力はないというのが物語上の設定になっていて、TEDはまず人工授精を考える。親友ジョンとの間のヒーロー、フラッシュ・ゴードン(かつてのB級アメリカ映画のスーパーヒーロー)やアメリカンフットボールの有名選手の精子を取得しようとして失敗したり、ジョンの精子を貰おうとして生殖バンクでドタバタ劇を演じたりという場面があった後、TED夫妻は方針を変えて養子を貰おうと斡旋所に行く。人工授精から養子斡旋へというあたりの扱いが、日本ほど深刻かつWETではなく、きわめて「あたりまえ」のこととして推移するのも、いかにも現代のアメリカを感じさせる。ところが、養子斡旋手続きの過程で、TEDが人格を持ち、結婚していること自体が「行政手続きのミスであった」と州政府が言いだし、TEDは戸籍を失い、クレジットカードも、職場も全てを失ってしまう。そこでTEDは、裁判による人格の回復にチャレンジする。(「そこで訴訟」というのも米国の文化だろう)

 親友ジョン、アリゾナ州立大出身の若い駆け出し女性弁護士、TED夫妻の4人ティームと、TEDをモノとして扱い、ぬいぐるみの内部を解析して量産しようとする「共和党系の」金持ち企業家+第一話に登場した変質者のコンビが州政府側に加担しての裁判劇が始まる。

 この裁判劇について筆者が特筆したいのは、TEDがモノかヒトかという裁判の主題が、150年昔の米国の奴隷解放裁判にすべてアナロジーされていることと、第一審で負けたTED側に、有名な黒人人権弁護士が「陪審員は、理屈ではなく人間的な感情によって裁く」という助言を与えるシーンである。結末に飛べば、TEDはそのヒトの情に訴えて見事勝訴するのだが、「裁判員裁判は理屈じゃない」という言葉が、妙に印象に残る映画であった。