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  2017年1月
   

タンゴ その2

     

 
 

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前回は、日本におけるタンゴの風俗史のようなことを漫然と書いたので、今月は、タンゴの音楽史を要約して書くことにする。

 タンゴは、1870年頃アルゼンチンは、ブエノスアイレスの港町、「ラ・ボッカ」で生まれた。

タンゴは、(日本の演歌が西洋音楽と民謡との混交であるように)ヨーロッパのクラシック音楽と南米の民族音楽などの混交である。タンゴの父が西洋音楽とすれば、母はミロンガという、ラテンアメリカの田舎のカウボーイ(ガウチョという)の民謡である。延々とした語り、節回しなど、ミロンガは日本の民謡とも共通するところがある。(民謡の歌詞は、恋愛や故郷への慕情などだが、本質に於いては、牧畜、農作業、漁労などの間に歌われる労働歌である)

 さらに言えば、ミロンガ自体が、白人とインディオの音楽の混交である。田舎者の民謡ミロンガが、都会ブエノスアイレスのイタリア系船員の街「ラ・ボッカ」で、西洋生まれの楽器や旋律と出会い、船員や沖仲仕の集まる酒場の舞踊の曲として生まれたのがタンゴである。タンゴという言葉は、1880年出版された「バルトール」という曲の楽譜表紙で初めて公に使われたとされている。(この時代音楽配信やCDという便利なものはなかったので、音楽の普及は専ら楽譜の出版によった)

 それから、僅か16年後、タンゴは海を渡った。アルゼンチン海軍の練習艦サルミエントが欧州を訪問。艦上の軍楽隊がタンゴ「ラ・モローチャ」を演奏し、欧州人に楽譜を配った。この時代の少し前、日本なども万国博覧会に芸者衆を出演させて日本文化を訴求したりしているが、当時西洋文明の片田舎アルゼンチンとしては、タンゴを自らの文化の象徴として訴求したかったのだろう。ともあれ、この海軍の試みが奏功して、港町の演歌タンゴは、近代世界に知られるようになった。

 1911 年 ヴィセンテ・グレコ楽団がオルケスタ・ティピカと称する。この頃、ドイツ生まれの楽器バンドネオンが、オルケスタの主役として定着する。

 第一次世界大戦を経て、大戦後のヨーロッパには、アルゼンチンからカルロス・ガルデル(1923年渡欧)、フランシスコ・カナロ(1925年渡欧)などの楽団がやってきて、ポピュラーミュージックとしてのタンゴの一大ブームを巻き起こした。この時代、本場アルゼンチンの上流階級は、下層階級の演歌タンゴを白眼視していたのだが、囚われのない若者達によってタンゴは世界に普及し、それを見た故国の上流階級がやっとタンゴを認めるようになったというのも、日本でもありそうな話しである。

 本場の泥臭いアルゼンチン・タンゴから、欧州社交界向けの洗練された、甘い旋律のコンチネンタル・タンゴが生まれた。一方で、タンゴの名曲として今日なお一日24時間世界のどこかで必ず演奏されているという「ラ・クンパルシータ」が歌詞付きで流行するようになったのもこの頃のことである。

 紙数が、尽きそうなので、最後にアストル・ピアソラという人についてふれる。ピアソラは、1941年にデビューしたバンドネオン奏者、作曲家である。第一次世界大戦後の、ガルデルやカナロ達がタンゴをポピュラーミュージックとして世界の舞台に上げたとすれば、ピアソラの功績は、第二次世界大戦後の新しい世界で、タンゴを基礎としながら、ジャズやクラシックとフュージョンさせ、現代音楽として羽ばたかせたことにあるだろう。守旧派からは、時に「タンゴの破壊者」と譏られたピアソラだが、今日タンゴを知らなくても、ピアソラを知っている音楽ファンは多い。1992年没。

出典:2009 年11月 16日 松井清治「アルゼンチン・タンゴ歴史年表」他より
http://www009.upp.so-net.ne.jp/fial/activity/data/fial_FTS12_0911b.pdf

 
     
 

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