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  2017年7月
   

飴の切り口

     

 
 

 平成27年7月の歌舞伎座公演は、松竹創業120周年と銘打って興行されていた。その演目を少し覗いてみよう。

 昼の部は、南総里見八犬伝で始まる。八犬伝は、滝沢馬琴作の長い、長~いお話であるが、歌舞伎座ではその内、「芳流園屋上の場」と「円塚山の場」の二幕だけをやる。昼の部二番目は、「死んだはずだよお富さん」で有名な(と、いってもこの歌が流行したのを知っておられる方はもう80歳に近いが)「与話情浮名横櫛」(「よわなさけうきなのよこぐし」と読む)。これも、「見初め」「源氏店」の二幕だけピックアップしての公演である。三番目は、蜘蛛絲梓弦(「くものいとあずさのゆみはり」)という狂言だが、これには「市川猿之助六変化相勤候」という付記があって、まあ狂言の筋よりは猿之助の六変化を楽しむレビュー的な要素が強いことがわかる。一方夜の部では、みなさんよくご存知の三遊亭円朝原作「怪談牡丹燈籠」を坂東玉三郎の演出で掛けるのだが、これにはわざわざ「通し狂言」という言葉が付記されている。つまり、歌舞伎の演目というのは、「通し狂言」で台本どおりやるのではなく、長いお芝居の中の、一幕、二幕をピックアップして公演するのが普通だということなのである。だから、わざわざ、「牡丹燈籠」では、「全部やります」という意味の「通し狂言」という断り書きが付いているのだ。

 さて、今月は、なぜ歌舞伎の通し狂言が廃れて、一幕、二幕のピックアップ公演になっていったか、ということを考えてみたい。仮説は二つある。

 第一の仮説は、もともと歌舞伎は出雲の阿国に始まったころから、役者の踊りや所作を見せるレビュー的な要素がつよく、芝居の筋に対するこだわりが少なかったから、というものだ。つまり、戯作者は、役者が一番映える「名場面」を創り出すのが商売で、「名場面」のために適当な筋をつければよく、そのためにずいぶん無理な筋(よくあるのは歴史上の有名人物が、なにかの庶民に身をやつし「庶民誰それ、実は誰某」という設定)をでっちあげても、お客に「名場面」さえ見せれば許された、ということなのではないか。そうすると冗長な無理筋を全部公演するのではなく、その「名場面」さえ演ずればお客は喜ぶのだから、ピックアップ公演でよいということになる。

fig1
 第二仮説は、この稿の筆者が「飴の切り口」説と呼ぶものである。まず、例を「助六由縁江戸桜」にとると、この話は遊郭の客助六、実は曽我の五郎(鎌倉時代の歴史上の人物)が吉原とおぼしき遊郭で暴れる話である。お客が見たいのは、吉原の風俗であり、その中での役者某の活躍である。が、江戸幕府は、その当時の吉原をそのまま描くようなナマで遊惰な芝居など許すはずはなかった。そこで戯作者が工夫をして、曽我兄弟の仇討ちという鎌倉時代の勧善懲悪話のなかに上手に吉原の場面を織り込んだということなのではないか。いわば、金太郎飴を外から見ると「鎌倉時代の勧善懲悪話」、ある部分だけを切り取るとその断面に「吉原遊郭風俗」が顕れるように、もともと創ってあるのが歌舞伎芝居なのではないだろうか。
 
     
 

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