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今月の言葉

2019年3月1日

部活動

昨今の学校教員は、とにかく忙しい、という話である。

 今号では、その中で、一応中学、高校の先生の仕事にフォーカスする。

 教員の仕事を洗ってみると、だいたい次のようなものになる。
 1 授業とその準備(教員自身の研究・研修も含む)
 2 授業以外の(たとえばクラス担任等としての)生徒、保護者との対応
 3 部活動の顧問
 4 各種の管理事務(成績評価、色々な報告書作り等の事務仕事)
 5 会議

 これらの中で、何か減らせるものはないかと文部科学省が考えた末に、3を誰かほかの教員以外の人に肩代わりしてもらえないか、という話になった。ところが、言うは易くで、これがなかなか難しい。要は、とくに運動部系の練習、試合等の途中で何かの事故が起きた時に「教員がその場に居なかったというのでは、無責任だろう」という社会の風潮があって、社会人コーチなど代わりの人に顧問の仕事を全部任せることを、世間も良しとしない傾向がある。そこで、部活動の日数などを制限して先生を楽にしようということも試みたが、これも運動部の生徒達は隣の学校に勝ちたいと思って部活動をしているのだから、公式練習を減らしても、プロ野球の自主トレ期間みたいな闇練習が出てきてしまい、教員の実質的負担はあまり減らない。

 さて、何故こんなことになってしまったのかを考えてみたい。それは、近代社会が成熟するに連れて、教育というものをなんでも学校に押しつける傾向が顕著になってきたからなのではないか。昔(とは言っても近代社会が始まった頃まで)は、教育というものは家庭、地域、学校の三者で担うものとされてきて、実際に躾けや道徳の類は家庭が、体育運動や青少年の精神的な成長については地域が(たとえば薩摩の郷中や各地の青年宿、青年団等の形で)多くを担ってきた。

 都市化、核家族化が進み大家族や地域コミュニティが実質的に崩壊する中で、いつの間にか、躾けや道徳、スポーツや精神的な成長についても、学校しか担える機関がなくなってしまい、社会も学校にそれらを全て期待するようになってしまったのだ。この稿の筆者の対策提案は、地域教育の復活。部活動を学校から切り離して、地域のクラブとし、定年後まだ元気な社会人によるNPOをつくって、その法人が生徒達を指導管理するというものである。少子化が進み、一校ではチームが成り立たない時代は、もうすぐそこまで来ているのだから。