お役立ち情報
COLUMN
クラブATO会報誌でおなじみの読み物
「今月の言葉」が満を持してホームページに登場!
日本語の美しさや、漢字の奥深い意味に驚いたり、
その時々の時勢を分析していたりと、
中々興味深くお読み頂けることと思います。
絞り込み:
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帝国主義と自由主義
中国人のリンさんはこんなことを言っている。
2025年は、抗日戦争勝利八十周年だそうだ。我が国は二百年ほども昔から、抗日戦争に勝利するまでの間、ずっと帝国主義諸国の侵略を受け続けてきた。はじめは西から英、仏、独などが、やがて北からロシアが、そして何と最後に東からは、中華世界の一隅で我が国に媚びを売っていたアジアの日本までもが「近代国家」を標榜して中国に攻め込んできた。彼らは、みな国内では、「民主主義」だとか、「三権分立」だとか、「自由平等」だとか、徳義めいたものを掲げていたが、一歩国の外に出れば、自国の利益しか考えない不徳義国、狼であった。我が中国も遅ればせながら、近代国家を建設しようと孫文が「三民主義」を掲げ、それは抗日戦争勝利の後に毛沢東の「共産主義」に引き継がれた。毛沢東は、随分国内で無茶なこともしたが、中国が世界から侮られない立派な国になることの基礎を作ったのだから、その面から見ればやはり偉いのではないか。これから中国は、いよいよ経済発展を遂げて、ロボットとAIを武器に、近代以前の中華世界の再構築を目指すのだ。
米国人のジェームズ君はこんなことを言っている。
2025年は第二次世界大戦が終わって八十年だそうだ。我が国でも最近トランプとか言う馬鹿者が大統領になってしまい、第二次世界大戦後にアメリカが主導してつくった国際秩序を自ら壊すようなことばかりしているが、ともあれ、第二次世界大戦とは何だったのかを簡単に要約して言えば、それは自由主義と全体主義との戦いであったのだ。近代国家のできはじめの頃は、英国名誉革命、アメリカ独立革命、フランス革命と我々先進諸国は、たいへんな苦労を重ねて、自由主義、民主主義を打ち立てたのに、後進のドイツ、ロシア、日本などはそれらの徳義を無視しても近代国際社会を渡って行けると思っていたので、戦争で痛い目に遭わあせたのである。ソ連だけはドイツに攻め込まれたので途中から我々の方に鞍替えしたのだが、戦後45年ほどして、やはり全体主義では国内経営は無理と言うことになって、ソ連邦も崩壊してしまった。中国だって、今は偉そうに中華帝国再建の夢を見ているが、ナニ近代国家はある程度経済発展してくると、自由と民主主議の国にならねばやっていけなくなるのだ。いまに人民が共産党の支配を受け付けずに、自由を求め始めるに決まっている。
ロシア人のニコライ君はこんなことを言っている。
自由主義だって?そんなものは、我が国はロシア帝国以来一度も経験したことがないので全然わからない。ソ連時代に我が国の衛星国だった東欧諸国が、ソ連が崩壊した途端に自由だの民主主義だのが恋しいと言ってEUに加盟してしまうのも、国内統治の仕方を西欧風に変えてしまうのも理解しがたいことだ。ましてソ連邦の一部であった国、たとえばウクライナなんぞがEUだのNATOだのに加盟したいと言い出すに至っては許しがたいことだと思う。ソ連邦は経済運営のやり方が少しまずかったのであんなことになってしまったのだが、今のロシアは、ゴルバチョフみたいな馬鹿者が欧米のまねっこをして壊してしまった国内秩序を再建して、スターリン時代の勢いを取り戻しつつある。第二次世界大戦の主役はなんといっても我がロシアだ。戦後の国際秩序なるものは、アメリカ、イギリスなど古い帝国主義国に、ロシアが戦争で得た権益を認めさせた成果なのだ。
~以下次回に続く~2026年9月30日
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南瓜
この稿の筆者は、幼時、南瓜が苦手であった。それは何故だったのかを考えている。
たぶん、幼い子供は(あるいは少なくとも筆者は)、はじめてのモノを食するときに、自分が期待し想像した味と全く違う味だと、そのモノが苦手になってしまうのではないか。筆者は、丸い緑の南瓜を見て、野菜ではなく果物だと思い、おそらくはメロンの同類であろうと、甘い、みずみずしい味を想像した。南瓜の中を割って、ほっこりした黄色い実に出会っても、もっと甘い薩摩芋の同類ではないかと想像し、いざ食べてみると先ずそれは果物ではなくれっきとした野菜であり、その味は(昔の南瓜は今ほど甘くはなく)野菜特有のかすかなえぐみを伴ったものであったことにびっくりしてしまったのだと思う。長じてから南瓜を好きになったのは、野菜の煮物としてとか、南瓜の鶏そぼろ餡かけとか、いわば「酒食」の一員として南瓜を認識するようになったからだ。小学生の頃くらい迄は、給食などに南瓜が出てくると、なんとなく避けていたように思う。
さて、南瓜(かぼちゃ)の語源は、「カンボジアから来た瓜」が有力だが、南瓜の原産地は中南米の高原地帯である。日本には、天文年間(1532~55年)に、ポルトガル人がカンボジアの産物として豊後大分に持ち込んだもの。コロンブスの新大陸発見から僅か半世紀もしない間に、南瓜は地球を(たぶん東回りで)半周して、日本にやってきたことに驚かされる。この鎖国前に入ってきた南瓜がいわゆる日本南瓜であり、「南京(ナンキン)」、「ボウブラ」などとも呼ばれた。
現在日本での栽培の主流となっている西洋南瓜の方は、19世紀の開国後、アメリカから持ち込まれたと言われており、日本での栽培が広まったのは明治時代になってからと言う。現在、栽培されている主な品種には、えびす、くりゆたか、くりほまれなどがある。(ⅰ)
南瓜は別名唐茄子(とうなす)とも言い、落語の「唐茄子屋政談」に登場する。この落語は、遊びが過ぎて勘当された若旦那が、唐茄子売りの行商になって、貧乏長屋を売り歩き、そこで出会った人々と織りなす人情話である。「明け烏」「船徳」などとともに、いわゆる「若旦那もの」として、今はなき古今亭志ん朝などが得意とするところであった。
以下は、南瓜を如何に食するかという料理話である。この稿の筆者の筆頭お勧めは「南瓜の冷製クリームスープ」である。コンソメブイヨンとともによく煮た南瓜をミキサーで砕き、ポタージュ状にして生クリームを少し加えて冷やすという至って簡単なレシピ。煮る前の南瓜を一度電子レンジでふかしておくと、より早く上手に調理することができる。次には前述の南瓜の鶏そぼろ餡かけ。南瓜は和風だしと砂糖を加えて煮てから、鶏挽肉にみりんと醤油を加えたものを入れてさらに数分、最後に片栗粉をいれてとろみをつけてできあがりである。(ⅱ) ほかには、南瓜をサラダにするレシピがいくつかある。サラダの中での筆者お勧めは、「間違いない☆かぼちゃサラダ」。最近の南瓜は、甘みもあり、ポテトサラダの代わりによくマッシュした南瓜を少量のマヨネーズとともに和えて、酢と砂糖で下味をつけてスライスした胡瓜やハム、コーンなどを添えて食べるというものである。ⅰ 鹿児島県指宿市のホームページを参考とさせていただいた。
https://www.city.ibusuki.lg.jp/main/fp/machi/nouchiku/page004673.html
ⅱ cookpad
「ほっこり美味かぼちゃ鶏そぼろあんかけ」https://cookpad.com/jp/recipes/19783890
「間違いない☆かぼちゃサラダ」
2026年8月31日
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楽市楽座
楽市楽座は、織田信長が導入した政策で、中世封建時代と近世の商業の在り方の一線を画す革命的な施策であった。先ずそれまで、日本中各地には、在地の領主、寺社などが思い思いに関所を設けて関銭を取り立て、商品の物流コストを押し上げていた。そればかりでなく、多くの商品(たとえば油、紙、織物など)が、製造者カルテルというべき「座」によって管理され、座に入れぬものは当該商品を製造することができなかった。そして座もまた権力者への上納金によってカルテルを保護され、座の成員の儲けを確保してきたのである。
織田信長は、商業を発展させるために在地の領主、寺社などが恣意的に関所を設けることを禁じ、座の成員によるカルテルも無効とするような特区を「楽市」「楽座」として、はじめは自己の領内の主要な町に導入し、やがてそれを拡大していく政策をとった。経済学的に言えば、絶対権力下の重商主義の導入としてこれを見ることができる。信長が行った比叡山延暦寺への弾圧と焼き討ちも、宗教機関である寺院が在地権力として政治的影響力を持つことを嫌忌したという側面だけではなく、延暦寺のような有力寺院が「座」の背景となる保護者としての機能を持っていた側面もあったのではないかといわれている。
いずれにしても、信長による楽市楽座の導入を画期として、物流の自由化と自由競争による製品価格の引き下げが、商業の発展(量の拡大)をもたらし、德川期を通じた近代社会の基盤形成につながっていったことは、歴史の教訓としてよく見ておかなければならない。
さて、この楽市楽座との比較において、昨今の世相でニュースとなっている二つの事象について述べたいと思う。その一つは米不足と消費者米価の暴騰であり、もう一つはいわゆるトランプ関税である。
米についていえば、第二次世界大戦後の占領軍主導の農地解放により形成された、小規模自作農による米の生産と、農業協同組合等による複雑な流通ルートを自民党が選挙のために保護し、しかもいわゆる減反政策の下で米の生産を制限した結果、わずかの気候変動で米不足と米価格の暴騰が招来されたのが実相である。あるべき施策は、米生産の法人化、農地の再編、大規模米生産の奨励、流通の簡素化、ブランド米は高く、基礎食糧米は安くの米価格の自由化・多様化等であろう。農業における「楽市楽座」すなわち小規模自作農の保護をやめ、米の物流・商流を自由化することが、いま問われていると、この稿の筆者は考える。
トランプ関税の問題はもっと深刻である。そもそもGATTからWTOに至る国際的な自由貿易の枠組みは、第二次世界大戦の反省の上に立って構築された、平和維持のための機構に他ならない。第二次世界大戦前、米英など先進的な資本主義諸国はいわゆるブロック経済圏を設けて自らの市場を囲い込み、その市場に参入できなかった日本、ドイツなど後進資本主義諸国が暴力によって、市場の奪取と資源の獲得を試みたのが第二次世界大戦の実相である。戦後関税によって保護されたブロック経済圏への反省の上に立って、自由貿易による自由な経済競争を(様々な激変緩和の留保をつけながらも)確保すること、すなわち国際貿易における「楽市楽座」が世界のルールとなったはずである。いまトランプ大統領は、自国の目先の都合で、その関税の禁忌にあえて手を付けようとしているのではないか。2026年7月31日
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AIの偏り
今から三十年以上もむかしのこと。この稿の筆者は、広告宣伝の世界に身を置いていて、ICカードというものに興味を持った。その事情を先ず述べたい。
たとえば、当時民放の全国ネットでプロ野球中継の間に30秒のテレビコマーシャルを流すとすると、およそ1000万円かかった。筆者はビールの宣伝担当であり、プロ野球中継は、ビール広告に最も適した媒体の一つであった。だが、その最適の媒体であっても、実際には視聴者の四割近くは、ビールを飲まない人(たとえば、未成年者とか、成人であってもそもそも酒を飲まない人など)であり、1000万円の内400万円近くは「広告の無駄打ち」となってしまう。もし初めから、ビールを飲む人というのが特定されていて、その人にだけ届く広告メディアがあったら、もっと効率の良いマーケティングができるのではないか。筆者がICカードに興味を持ったのは、この謂である。お客様が、ICカードを持って店舗に行き、たとえばビールを買う。店舗側の端末機に、いつ誰がどのくらいビールを買ったかが記録される。その記録を集めてきてデータベース化し、「ビールを飲む人」に対してだけ広告を打つような方法はないものか、そんなことを考えたのだ。
そのころはまだ、個人情報という言葉は人口に膾炙していなかったが、お客様の購入情報を売る側が的確に知るには、いくらか困難も伴った。が、その後、インターネットなどの発達によって、たとえば筆者がネット通販で何かを購入したとたんに、売り手の側から筆者専用のメッセージが「この商品を買った方に、あの商品はいかがですか」「あなたの趣味に最適の○○はいかがですか」などと言ってくるようになったのである。世の中は筆者が思い描いていた方向に向かっているように見えた。だが、このことが思いがけない別の効果を生じさせてしまっている。それは、AIがもたらす「偏り」ということである。
今日の情報社会では、真実かフェイクかを問わず、無数の情報が乱れ飛んでいる。ところが、あなたが、SNSで何かの政治的意見や歌、料理、芸能人などの好みを「つぶやいた」とすると、たちまちAIがあなたの趣向を分析して「あなた好みの意見」や「あなたが好きそうなモノ」を選んで推奨してくる。やがてあなたは自分の意見や好みに合った情報ばかりを受け取るようになり、知らず知らずのうち、どんどん「偏った」世界に落ち込んでいく。あなたの気に入らない意見や、趣味に合わない歌は配信されてこないようになるからである。今日、某超大国の大統領や、関西の某県知事など、かなりエキセントリックで、偏ったポジションの人物が選挙で勝利してしまう理由は、自分の好きな情報ばかりを受け取って、「口に苦い情報」も比較して考えることを忘れた「偏った」熱狂的な人々が支持者の中核にいるからである。インターネットが普及し始めたとき、筆者は、一部のマスコミによって選別された情報ばかりではなく、様々な方向の違う情報を比較考量して自分の頭で考え判断できる公正な社会が来ることを期待した。が、やってきたのは、多すぎる情報の中から、自分好みのものだけを選別する「偏った」社会だったのではないだろうか。2026年6月30日
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らせん教育論
今月は、この稿の筆者が教育について思っていることを、とりとめもなく記していきたい。
近代社会においては、それ以前の人類の歴史にはあまりない、社会制度としての学校というものが開設され、国民全体に対する総教育が行われるようになった。これを以て国家が求める最低の知識を標準化して立派な兵士や労働者を作るため、あるいは家庭だけではなく銃後で労働を担う女子を養成するためという人もいるし、そういう側面もあっただろう。が、一方で小説「クオレ」や「路傍の石」などが示すごとく、それまで教育機会を与えられなかった貧困階層の人々にとって、この学校制度はあきらかに恵み深いものであった。また、日本においては戦前の陸軍士官が、幼年学校(現在の中学二年生くらいから)で軍人教育の鋳型にはめられ視野狭小であったのに比べて、海軍兵学校(現在の高校三年生くらいから)を出た海軍士官は普通教育の課程を経た上で軍人となったので、陸軍よりも広い視野と常識をもって社会を見ることができたといわれている。
上記はいずれも同一世代のすべての男女に学校制度による普通教育を与えることのメリットを説くものであるが、一方最近の日本のように十八歳以上の成人世代の約半数が大学に進学するというのは如何なものだろうと筆者は考える。戦前はそれでも師範学校、士官学校、兵学校、商業や工業専門学校、医科専門学校、農学校、水産学校等々大学に並行して様々な専門教育をおこなう学校が存在したが、現在ではこれらは殆ど絶滅してしまい、人々は何故か一般的な教育(一部の研究者養成大学を除いては、高校までの普通教育の焼き直しにすぎないように筆者には思える)を与える大学に進学するようになってしまった。これは本人のためにも社会のためにも損失である。
さて、話は変わって東アジア圏(とくに中国や朝鮮など科挙文化を背景に持つ国々)の息苦しくなるばかりの受験競争について、筆者が持っている反感を述べたい。この世の知識の総量というものはほぼ無限であるのに、それを十八歳くらいまでに身につけておくべき知識の標準として(例えば学習指導要領みたいなものに)まとめ、その標準知識をどれだけ身につけているかを試験というもので競わせる。しかも全国統一的な試験の結果、同一世代の人口のすべての者に(偏差値という名の)順位がついてしまい、その成績が一生の命運を左右するような社会制度はおかしいと思うのである。高校を卒業して普通教育の焼き直しにすぎないような大学に進学するくらいなら、専門学校(アニメでもデザインでも好きなものでよい)へ行く方が社会と自分の両方のためだと思うのだが。
一方で欧米の教育にも毀誉褒貶はあるが、西洋的な教育のやり方は、人間の身についている知識の量を問うのではなく、知を身につける能力(自ら疑問を呈し、問題の所在を考え、自ら知の海に分け入って調べ、創意と工夫によって仮説を見いだし、周囲の人々との討論をつうじて問題の解決に至る能力)を磨くことを旨としているように思える。ただし、こうして身についた能力を「測る」ことは難しいので、西洋的なやり方では「順位」をつけにくいという問題はある。が、そもそも人間の能力には様々な側面があるので、たとえばヴァイオリンの名手とサッカーの選手、靴職人と料理人の間に「順位」をつけようという方が間違っているのではないだろうか。
筆者の経験をやや極端化して言えば、西洋では小学校から大学院まで、ほぼ毎週テーマを決めて、問題を考え、調べ、発表し、それをもとに教師や同友と討議をくりかえして善知に至る、らせん状の教育のプロセスをくりかえしているように見えるのである。2026年5月29日
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タカラヅカ
この稿の筆者が宝塚歌劇団とご縁を持ったのは、1980年代。今も大女優として現役で活躍されている二人のトップスターを、自社のコマーシャルに起用したときのことである。本誌読者もご高承のとおり、タカラヅカは女性だけで成り立っている舞台演劇である。ほとんどの場合、やや演劇性の強いミュージカル(たとえば「ベルサイユのばら」などが有名)と、歌と踊りの華やかなレビューの二部構成の公演である。そもそもタカラヅカを好きな方は、熱狂的なあこがれの目で半ば宗教の信者のごとく舞台のスターたちを見ており、一方タカラヅカに興味のない方は全くこの不思議な世界を知らないので、仕事でこの世界とご縁が出来て比較的冷静にこの世界とつきあう例は少ない。
飲料メーカーの宣伝担当であった筆者は、それまでも大手の芸能事務所や、劇団などに所属するタレントと一緒に仕事をする機会は多くあったが、それらに比べても、タカラヅカの仕事はとても特異な経験であったと思うので、今月はそのことを書いてみたい。
筆者が思うに、タカラヅカと他を隔てる特徴の最たるものは、徹底したスターシステムと組織性にあると思う。この「スターを見せるための演劇」が、タカラヅカの場合極端であって、誰がトップスター、誰が脇役、誰がその他の端役(音楽学校を出たばかりの下級生)ということが予め決まっていて、作家は台本に合わせて配役をするのではなく、あくまでも花組、月組・・という劇団組織の内部の「組」の中の出演者の位置にあわせて、台本を構成するのである。レビューの場合はそれでも良いかもしれないが、ミュージカルの場合は時としてこのやり方は舞台の演劇性(ドラマトゥルギー)を損ないかねない。タカラヅカの嫌いな方が、往々にして「あれは演劇ではない」などと心無い批判をするのは、この極端なスターシステムの故であると思われる。一方で、ファン側の心理としては、端役(下級生)の頃に自分が見出した、才能あるスターの卵が、時を経て「組」の中で出世を遂げ、やがてトップスターに成長していくのを見ることこそが、タカラヅカの得も言われぬ楽しみなのであり、ミュージカルのドラマトゥルギーなど知ったことではないのである。
スターシステムは、そのままタカラヅカのビジネスモデルとも直結している。タカラヅカの舞台を良い席で見ようとする場合、一般のオペラや演劇とちがって、劇場や劇団からネットなどを通じて切符を買うのではない。何故ならば良い席のほとんどは予め個別スターの後援会が抑えていて、ファンたる者は劇場入口に各々机を出している後援会からあらかじめ予約しておいた切符を受け取る仕組みになっているのである。これは、古来の相撲茶屋や芝居茶屋のような販売代理店方式をやや近代化した「スターに切符を売らせる」方式であり、タカラヅカでスターに出世するためには、才能だけではなく、切符を売る力も必要なのではないかと疑わせるものでもある。
最後に、「裏の世界」のことについても少しだけ書いておきたい。宝塚音楽学校を卒業した者が、全員トップスターになれるわけではないから、「組」の中では出世できずに途中で消えていく者たちも多くいる。そういう世界では、上級生が下の者に追い越されたりする場合、強烈な嫉妬が起きることは想像に難くない。だから、強固な表面の組織とはウラハラの裏世界では「ホシの数よりメシの数」の論理が貫通していて、上級生の非合理な要求にも従わざるを得ない「文化」をよしとする風潮がないとは言えない。「それがタカラヅカの強み」という者さえいる。先年起きた、「組」内のある種のイジメに起因すると思われる不幸な事件には、この「文化」が背景にあるのではないだろうか。2026年4月30日
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自転車は敵だ(続)
先月に続いて自転車の道路通行における罪状を挙げて、危険である所以を述べたい。
自転車の罪状その1は、「一方通行、自転車を除く」である。自動車を運転する者にとって、赤地に一の派手な一方通行(の出口)マークは、逆走禁止という安全上きわめて重大なサインであり、自動車の運転者がこれを見落とすことはまずないと言ってよい。が、その一方通行マークの下に、「自転車を除く」という漢字の標識が付属している場合があるのに気づく運転者は、必ずしも多いとは言えない。自動車の運転者が「青地に白矢印」の一方通行の道を走っていると、突然向かい側から自転車が逆走してくる。だが、一方通行をあらわす「青地に白矢印」の標識の下には「自転車を除く」という漢字の標識がついていない場合もある。では、どのように自動車はこの道を自転車が「合法に」逆走してくることを識別するのだろうか。
次に掲げる罪状その2は、「車は左、人は右」を守らない自転車の存在である。
道路交通法上、自転車は純然たる車両である。我が国では車両は道路の左側を走ると法に定められている。ところが、平然と道路の右側を通行し、あまつさえ、道の左側を法に則って走行している自動車の正面に立ちはだかり、突っ込んでくる自転車が存在する。このような不埒な自転車は、自分を歩行者と勘違いしているのではないだろうか。
自転車が、自分を歩行者の党類であると勘違いする所以は、「自転車は歩道を通行してもよい」とする天下の悪法にある。だが、この法律には、いくつも但し書きがついていて、まず前提として歩道に「普通自転車歩道通行可」の標識等があるとき、とあって、どの歩道でも通行してよいわけではない。あるいは「普通自転車の通行の安全を確保するためにやむを得ないと認められるとき」で、これは道路工事や、車道の路側に駐車スペースが設置されているとかの例外規定である。さらに、自転車が歩道を(やむを得ず)通行するときは「車道寄りの部分を徐行」すると法に定められており、守らなければ罰則も適用されるのだが、これらの例外規定や定めを守って歩道を走っている自転車は数少ないように見受けられる。
また、車道に塗ってある青ペイント、白ペイントの自転車レーン(ナビマーク・ナビライン、専用路側帯)の表示は、色の違いによって意味が異なる。青ペイント(塗りつぶし)の「普通自転車専用通行帯」の表示は道路交通法上の根拠があり、いわば自動車用の車道の左にもう一つレーンがあるということを示している。一方白ペイントのナビマークや交差点近くの青ペイントのナビライン(道路にとんがった矢印状の表示)の方は、自転車の安全な通行を促すガイドラインのようなもので、法的根拠はないのだそうだ。それは車道の路側にもう一つのレーンがあるという意味ではなく、道路の一番左のレーンは自動車、自転車共用に開かれていることは銘記する必要がある。
世の自転車には法を守って通行することを、強く訴える次第である。2026年3月31日
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自転車は敵だ
自動車と自転車の功罪を比較すると、特に環境(地球温暖化に対する影響)や健康面での効能から、断然自転車に軍配が上がることは、よくわかっている。だが、それでも自動車の運転をする者として、昨今の道路上での自転車の横暴には我慢ならない。今月は、以下に述べる諸々の罪状を掲げて、自転車が我が国の道路で如何にのさばっているかを糾弾することにしたい。
自転車の罪状その1は、なんと言っても「すり抜け運転」である。道路の左側車線を走る自動車が交差点や信号に近づき徐行を始めると、後ろから自転車や自動二輪車がかえって速度を上げて自動車の脇をすり抜けようとする。そもそも一つの車線を走る車両同士であれば、同じ車線の前の車を追い抜くときには、右向きのウィンカーを出して、右から抜くのが我が国の作法であり、同一車線の左側から前の車をかわそうとするのは、立派なマナー違反である。のみならず、自動車の運転者に余計な安全確認のストレスを与えるという意味で、危険な走行であると言わざるを得ない。
罪状その2は、走りながらスマートフォンを操作したり、SNSやメールを見たりする行為である。自動車にもカーナビという道具が付いていて、運転中にそれに注目してしまうと前後左右の安全確認がおろそかになることが知られている。が、カーナビはまだ単語や静止画像程度の意味伝達であるが、SNSやメールは複雑な構文を持った意味の伝達手段であり、それだけカーナビより注目時間が長くなり、より危険度が増す。実際に、歩道を走る自転車(自転車が例外的に歩道を走ること自体はかろうじて合法である)が、スマートフォンを見入っていて、歩行者に衝突して人を殺してしまった例も少ない数ではない。
罪状その3は、かなりの速度で突如横断歩道に進入し、走り抜けようとする行為である。特に左折する自動車の運転者は、横断歩道を渡ろうとする前後の歩行者に注意しながら、歩行者が横断歩道から立ち去ったことを確認して、左折を遂げようとするのであるが、その時突如左後方から、時速20km以上で自転車が飛び込んでくることがある。まだしも左折車の前方から来るのであれば目に入りやすいが、横断歩道の左後方は、左折車のミラーの死角になっていて運転者の目にも入りにくい。自転車の高速での横断歩道進入は、あきらかに危険運転行為である。
罪状その4は、道路上で自転車が自転車を追い抜こうとするときに後方確認しない、あるいは後方確認できないことである。自転車と自動車は速度が違うので、自動車は当然、あるいは自然に後方から自転車の右側を追い抜くことになる。その時突然縦に並んで走っている自転車の二台目が何の予告もなしに道の右側に飛び出して一台目の自転車を抜こうとする。この稿の筆者が小学校で学んだことには、そういう時に後方側の自転車は腕で道路の右側に出る合図をすることになっているのだが、残念ながら最近そのような合図をする自転車を見たことはない。
これら罪状をもって、この稿の筆者は、「自転車は自動車の敵である」と判定するものである。2026年2月27日
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長編歌謡浪曲
一人で自動車を運転していると、ふと眠気が兆す時がある。そういうときには、車を路肩に止めて、ひと休みするのが作法であるのだが、そのひと休みが終わって、さて再度出発というときに、眠気覚ましの音楽というのを掛けることにしている。そういう時には、わが青春の・・なんていう楽曲は思わず気持ちよくなってしまい、その世界に引き込まれてしまいそうで眠気覚ましにはならない。かといってヘビーメタリックのロックなんぞはうるさいだけだし、帝国陸海軍のラッパや軍歌は、眠気は冷めるだろうが、なにか右翼の街宣車みたいでぞっとしない。そこでこの稿の筆者が、いつもそういう時にかけるのは、三波春夫の長編歌謡浪曲集である。
三波春夫は1923年(大正12年)新潟の生まれ。三波春夫と言えば、「東京五輪音頭」(あゝあの日ローマで・・)や「万国博覧会音頭」(世界の国からこんにちは)が有名だが、彼の本来の持ち味は、浪曲師南條文若時代のキャリアを生かした、「浪曲のような歌謡曲」すなわち長編歌謡浪曲にある。とくに赤穂義士銘々伝にあたる「俵星玄蕃」や「赤垣源蔵」、そのほか「南部坂雪の別れ」「ああ松の廊下」など忠臣蔵ものは作品数も多く、まさに彼の真骨頂といってよいだろう。
この稿の筆者の幼時、物心つかない頃、むずかって泣いていても、浪曲の好きなお手伝いさんがラジオで浪花節をかけていると、いつの間にかおとなしくなってラジオに聴き入っていたというから、もしかすると浪曲の節回しが筆者の体質に合っていたのかもしれない。が、物心ついてからの家庭は洋楽一辺倒、日本の歌謡曲すら親はまったく好いていなかったから、三波春夫作品に近づく機会はあまりなかった。それが、大学に進学して入った放送のクラブの後輩に、三波春夫氏の令息がいて、ひょんなことから彼の作る歴史ラジオドラマ作品に筆者の出演(たしか大谷刑部少輔か何かの役だったと思う)を依頼されたりした経緯もあって、三波春夫歌舞伎座公演に出演する令息のほうの楽屋見舞いに出かけたりしてご縁ができた。我が家の祖父のところには、そのころ毎月松竹から歌舞伎座の切符が届き、歌舞伎公演の時はだいたい祖母や親せきが(たまには筆者もお供して)その切符を使うのだが、8月の三波春夫公演の時は、三波春夫の超大ファンである祖母の家の年老いたお手伝いさんがぜひ行きたいと言うので、楽屋見舞いを兼ねる筆者と二人で出かけたものだ。筆者は、令息の楽屋を見舞い、さっさと公演の席に戻ろうとしたら、スタッフの人に引き留められ、主演の三波春夫氏が廊下を通るから、というので待っていると、令息の先輩ということでとても丁寧に挨拶をされて、若造としては恐縮してしまい、また同伴のお手伝いさんにはえらく面目を施したものだ。三波春夫の長編歌謡浪曲を聞いていて、演出面で特徴があると思ったことが二つある。一つは、主人公があまり有名な人でない場合、必ず歴史上の有名人物の名前(たとえば大石内蔵助)をさりげなく挿入して聴衆の興味を引くことと、「雪を蹴立ててサク、サク」とか、「連銭葦毛にうち跨りパパパパパ」とか擬音がうまく挿入されていることである。いずれも、浪曲の演出の系譜をひいたものなのだろうと思っている。2026年1月30日
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不倫
2024年10月の総選挙において躍進を遂げた某野党の党首T氏が不倫をしていたことが発覚。某野党を支持する労働団体の代表からは「けじめをつけるべきだ」と苦言を呈されたという報道もある。不倫がスクープされた当初は、「党首辞任」「議員辞職」などを取り沙汰する声もあったが、さすがにそれは少数意見だったようで、この稿を執筆している現在、T氏の「けじめ」は党の倫理委員会だかに委ねられているところらしい。
この稿の筆者は、T氏の支持者ではないが、政治家がいくら公人だからと言って、不倫という最も私的な行いと、公職の進退ということを一緒に論ずる風潮には、違和感を持たざるを得ない。「公私のけじめ」をつけるべきなのは、世論の方ではないかと思うのだ。そこで本稿今月号では、少しだけ「不倫」ということを論じてみたい。
まず定義として「不倫」とは、人間の男女のカップルいずれか、あるいは双方が、家庭があるにもかかわらず、別の相手と肉体関係を持つことを言う。あえて人間と書いたのは、熊や猿の雄は同時に複数の雌と関係を持つことが知られているからである。「不倫」とは文字通り「不道徳」の意味だが、人類社会においても一夫一婦制の道徳を持たない社会は(たとえばイスラム社会のごとく)かなりの比率であるので、上記の行為を「不倫」というのは、人類社会の中でも(多数か少数かは知らないが)ある部分であると言える。ただし、戦後日本社会の価値観では概ね上記の行為は「不倫」とされる。その理由は、主に「家庭があるにもかかわらず」という点にある。配偶者や扶養する子などがいなければ、男女ともに恋愛は自由であるし、恋愛というマーケットの中では、「前のパートナーと切れなければ、次の相手と肉体関係を持ってはいけない」と言うほど厳しい価値観が確立しているわけではない。上記の行為が「不倫」とされる理由は、配偶者を持つ者は、第三者と肉体関係を持たないという法的な「契約」が存在するからである。この契約に違反した者は、行為がばれれば配偶者に「契約違反」を詫びなければならないし、配偶者の意向によっては、契約解除=離婚、あるいは慰謝料を請求されても文句は言えない。筆者が「扶養する子」のことを付記した理由は、「不倫という契約違反」の結果、家庭が精神的あるいは物理的に破壊されれば、子供が影響を受けるからである。逆に「第三者と肉体関係を持たない」という契約が存在する理由のかなりの部分は、家庭の安定を維持するためということもできる。「不倫」は法律上民事の対象ではあっても、刑事罰の対象ではない。T氏が社会的指弾を浴びるのは、民事上の契約違反を犯したからであって、「公人のくせに他人に金を借りたのに返していない」というに近い。
最後に、フランスの某大統領は長年配偶者ではない愛人を持っていて、それは周囲に公知のことであったが、マスコミは大統領の在任中一度もそれを報じなかったという。一夫一婦制の社会でもその程度の寛容さ、あるいは「ゆとり」は欲しいものだと、この稿の筆者は思う。2025年12月26日
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言語を学ぶ
久しぶりに会った高校・中学の後輩が言う。「私は実はあなたのことを尊敬していたんですよ。」「あなたのクラス担任だったT先生から聞いた話ですが・・」「君たちの先輩には、凄い男がいる。英語の教科書なんて、一ページに単語二、三語わかれば、大体何が書いてあるかはわかるそうだ。」
ふむ、たしかに中学生の頃、そんなことを豪語していたような気もする。そしてそれはまんざら嘘ではない。たとえば筆者は、さほど英語に堪能な訳ではないが、英字新聞を斜め読みすれば、大体何が書いてあるかはわかるのである。何故かというと、ウクライナ情勢であれ、パレスチナ情勢であれ、どこかの国の選挙戦の情勢であれ、普段ニュースなどを見ていればおよその知識はすでに先に持っている。そこで英字新聞を読んで、昨日の出来事を示唆する二、三の単語が目に飛び込んでくれば、想像力を働かせて、昨日こんなことが起きたに違いないという、「凡その当たりをつける」ことができるのである。この「凡その当たりをつける」暗号解読みたいな言語習得法は、自分の全く知らない言語、たとえばイタリア語であっても、スペイン語であっても原理的には適用可能である。
ちなみに筆者は、自分の学んだことのない言語を使う国に降りたって、十日もすれば、なんとか独りで飲食店に入って、料理を注文することができる。ただしこれにはリスクもあって、昔ドイツ語を知らないのに、ドイツの鉄道に乗って一人旅をしていたときに、とある駅で自信満々で「ビールとミートパイ」を注文したつもりだったところ、相手が変な顔をするので、「どうしたのだろう」と不安に思っていたら「ビールと木苺のパイ」が出てきてしまったということがある。これなどは「木苺」という単語を知らないのに、勝手に自分の想像で「このパイはミートパイにちがいない」と思い込んでしまったために起きた事故である。
筆者が何故、どのように、かかる邪道に近い言語の学び方を覚えたかというと、それは筆者が、小学校1年生のときに、まったく英語を知らないのに、突然アメリカの公立小学校に入れられてしまったからである。小学校低学年というのは、言語を学ぶには微妙な年頃である。それよりもちいさい小児であれば、そもそも自分がどのように言語を習得したかの自覚がない内に言語は自然に身につくのである。一方小学校高学年から上であれば、母語以外の言語は、概ね学校で先生について学ぶもので、単語以外に言語を構成する方法(文法)や語尾の変化なども同時に学ぶ。外国の学校に入って、もし語学力が乏しいと判定されると、一年とか二年学級を落とされるか、自分の母語以外の言語を学ぶために特別クラスに入れられたりする。だが、小学校低学年では、「文法もへったくれもなく、いきなりその言語を使う」のが教育である。筆者は天才でも何でもないが、アメリカの学校に入ったその日のうちに、隣の少年が「今日家に遊びに来いよ」と招いているくらいはわかったし、二、三ヶ月後にはあまり不自由なく、他の子供たちと遊びの時に会話することができるようになった。
授業の内容は、だいたい日本の小学校より幼稚であったから、それこそ「想像力を働かせる」方式で乗り切った。付け加えれば、発信の際に知らない単語を知っている単語に置き換える方法もある。これは「虎」という単語を知らないときは「黄色い、黒い縞の、強そうな、大きい猫みたいな動物」とか言うものである。筆者は、小学校で学んだ英語を帰国後一度完全に忘れた。が、邪道の方は忘れなかった。高校の上級生になるまでは、この邪道を用いて、英文法を知らずに(SubjectのSが主語を表す略語であることも知らなかった)なんとか英語の授業をやりすごすことができた。2025年11月28日
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東京六大学野球(続)
先月では、東京六大学野球とこの稿の筆者との出会い、そして比較的ローカル試合である慶應-法政戦の風景などを書いたので、今月は東京六大学野球の中でももっとも華やかで、お祭りの要素の強い慶早戦(筆者は慶應義塾出身なのであえて早慶戦とは言わない)の風景について述べることにしよう。
慶早戦は、必ず東京六大学野球の最終節に、(一日中に第一試合と第二試合が行われるのではなく)、かならず慶応対早稲田一試合だけの日程で行われる。そのほかにも、慶早戦特有の決め事があって、通常は先攻の大学が三塁側、翌日は先攻が入れ替わって、ベンチも一塁側と三塁側を入れ替えるのだが、慶早戦に限っては先攻、後攻に限らず慶応が三塁側、早稲田が一塁側と決まっている。これには歴史的な経緯があって、1933年10月22日当時三塁側応援席にいた早稲田側から食いかけのリンゴを投げられた慶應水原三塁手が、そのリンゴを早稲田側に投げ返したことから一大乱闘事件が起きたことにちなんで、両校手打ちの際に、爾後応援席は慶應三塁側、早稲田一塁側と取り決めたのだとのこと。(これを「水原リンゴ事件」という)
さて、最近はどうか知らないが、この稿の筆者の学生時代には、慶早戦と言えば学生応援席に入場して応援歌を歌いたい学生たちが徹夜で並んで待っていたりしたものだ。そしていよいよ球場に入ると13時頃の試合開始までずいぶん長い時間を待つことになる。はじめの間は応援歌の練習や、マーチングバンドが応援歌ではないしゃれたポピュラーミュージックを演奏したりして時間を過ごすのだが、正午になるといよいよ慶早戦特有の儀式が始まる。まず内外野の両校応援団が全員起立して、「早慶讃歌花の早慶戦」を合唱する。その後先攻校のファンファーレが鳴ると応援席最上段に巨大な塾旗、または校旗が揚がる。そして慶應であれば「慶応讃歌」早稲田であれば「早稲田の栄光」の荘重な演奏とともに、旗は静々と応援席最前列まで行進するのである。途中「本日の旗手を務めますのは、○○高等学校出身○学部○年○○○○でございます」などの紹介があり、歓声とともに色とりどりのテープが旗に向かって飛ぶ。その後やっと塾歌、校歌の斉唱と両校エールの交換(なにせ慶應の塾歌なんぞは三番まで歌うと十五分はかかる)があって、ようやく野球試合開始となるのである。試合中も「若き血」や「紺碧の空」ばかりではなく、各回の攻撃開始時に歌う応援歌が大体決まっていた。特に7回には、また全員起立しての合唱とエールの交換がある。(六大学野球でこの7回のエールのときに校歌を歌わないのは、そもそも校歌がない東大の「ただ一つ」、塾歌が長すぎる慶應の「若き血」だけである)さて、試合が終わるとほぼ試合開始時の要領の通りまたエールの交換があり、さらに両校とも慶早戦に勝ったときに歌う特別の歌(慶應は「丘の上」、早稲田は「光る青雲」の四番?)を歌ったりする。
すっかり野球の話ではなく、応援の話になってしまったが、これが伝統ある慶早戦のかわらぬ様式である。2025年10月31日
