人間どもが、俺にOSO18という記号みたいな名前をつけて呼ぶようになったのは、2019年7月のこと。人間界ではこういう名付け方をコードネームとか言うらしいが、せめて「於曽重八」とかそれらしい名前にして欲しかったものだ。命名の由来は、俺が人間界で個体の熊として認識されるようになった場所が、北海道の標茶町オソツベツという所だったことと、俺の足跡が雑な測り方で18cmあったことによる。
さて、その年の7月16日、俺にしては不覚なことに、一頭の乳牛を牧場の近くの沢に引きずって行き、腹を割きかけたところを、牧場主の息子に見られてしまった。まさに「藪から棒」の出会いで、俺の方もかなり慌てていたのだが、見られてしまったものは仕方がない。そこでカモフラージュというわけでもないが、その夏8月にかけて、28頭の牛を襲った。なかには、襲うだけで食べずに怪我を与えて赦してしまうこともあった。ほんとうは牛を食べたいわけではなく、俺にしてみれば人間界に対するゲリラ戦というか、人間界に「神出鬼没の熊」というイメージを与えて威嚇したかったのだ。
その俺の試みは半ば成功し、半ば失敗した。たしかに俺は「神出鬼没の熊」というイメージをつくることに成功し、OSO18は人間界から畏怖を持って見られるようになった。が、一方で人間界に俺様専門の討伐隊が編成され、各所の牧場近くに俺を捕獲するための罠が仕掛けられるようにもなり、いわば俺と人間界との関係は、「全面戦争」にエスカレートしてしまったのだ。俺の18cm前後の足跡と、俺が鉄条網などに残してきた体毛をDNA鑑定することを通じて、人間どもは俺の攻撃実績と他の熊の移動とを的確に区別し、俺の跡を追跡するようになった。他の熊の場合、よほど腹が空いたりしなければ人間界の牧場を襲うことはしないし、野生動物であれ、家畜であれ動物蛋白はそもそも熊の主食ではない。山に笹の実やドングリが豊富にあれば、わざわざ危険を冒して人間界に下りてくることはない。
だが俺の場合はちょっと違う。後に俺の死後のことになるが、人間どもが俺の遺伝子分析を行って調べたところ、俺は若い頃からこの方、動物蛋白ばかりを食べてきたことが分かってしまった。俺はいわば熊界のマイノリティ。偏食者、いや偏食熊であったのだ。俺がなぜそうなったか、は、自分にも、人間にもよくわからない。が、若い頃に偶然食べた鹿か何かの野生動物の肉に「味をしめて」動物偏食の道に入ったということなのだろう。ほかにも俺と一般のヒグマとは行動の様式が違っている。ほかのヒグマは、一度仕留めた獲物を土の中に隠して取りに戻ってくるのに対し、俺は、そうした行動を見せず、獲物に執着しなかった。そのために、人間界では俺のことを「食べるためではなく、快楽のために動物を襲う変質者」なのではないかという噂すら出たほどだ。が、実際の所は、俺が人間に対して、異様なほど研ぎすまされた鋭敏な感覚をもっていて、襲撃の途中でも、すこしでも何か人間の気配を感じると、あっさりと襲撃をあきらめて撤退していたのだということ他ならない。
俺の襲撃実績は、標茶町とその南の厚岸町にまたがり、2019年から2022年で31件、牛65頭にのぼった。が、2023年7月30日、釧路町オタクパウシで老いて食欲をなくし、胃の中も空っぽで牧草地にただ腰を下ろしていた俺は、まったく無抵抗で、討伐隊ではなく近くの牧場のハンターに撃たれて死んだ。しばらくは俺がOSO18であったということすら分からなかった。なので、俺の死骸は、人間の解体業者に渡され、肉の一部はジビエとして都会で食べられてしまった。