楽市楽座は、織田信長が導入した政策で、中世封建時代と近世の商業の在り方の一線を画す革命的な施策であった。先ずそれまで、日本中各地には、在地の領主、寺社などが思い思いに関所を設けて関銭を取り立て、商品の物流コストを押し上げていた。そればかりでなく、多くの商品(たとえば油、紙、織物など)が、製造者カルテルというべき「座」によって管理され、座に入れぬものは当該商品を製造することができなかった。そして座もまた権力者への上納金によってカルテルを保護され、座の成員の儲けを確保してきたのである。
織田信長は、商業を発展させるために在地の領主、寺社などが恣意的に関所を設けることを禁じ、座の成員によるカルテルも無効とするような特区を「楽市」「楽座」として、はじめは自己の領内の主要な町に導入し、やがてそれを拡大していく政策をとった。経済学的に言えば、絶対権力下の重商主義の導入としてこれを見ることができる。信長が行った比叡山延暦寺への弾圧と焼き討ちも、宗教機関である寺院が在地権力として政治的影響力を持つことを嫌忌したという側面だけではなく、延暦寺のような有力寺院が「座」の背景となる保護者としての機能を持っていた側面もあったのではないかといわれている。
いずれにしても、信長による楽市楽座の導入を画期として、物流の自由化と自由競争による製品価格の引き下げが、商業の発展(量の拡大)をもたらし、德川期を通じた近代社会の基盤形成につながっていったことは、歴史の教訓としてよく見ておかなければならない。
さて、この楽市楽座との比較において、昨今の世相でニュースとなっている二つの事象について述べたいと思う。その一つは米不足と消費者米価の暴騰であり、もう一つはいわゆるトランプ関税である。
米についていえば、第二次世界大戦後の占領軍主導の農地解放により形成された、小規模自作農による米の生産と、農業協同組合等による複雑な流通ルートを自民党が選挙のために保護し、しかもいわゆる減反政策の下で米の生産を制限した結果、わずかの気候変動で米不足と米価格の暴騰が招来されたのが実相である。あるべき施策は、米生産の法人化、農地の再編、大規模米生産の奨励、流通の簡素化、ブランド米は高く、基礎食糧米は安くの米価格の自由化・多様化等であろう。農業における「楽市楽座」すなわち小規模自作農の保護をやめ、米の物流・商流を自由化することが、いま問われていると、この稿の筆者は考える。
トランプ関税の問題はもっと深刻である。そもそもGATTからWTOに至る国際的な自由貿易の枠組みは、第二次世界大戦の反省の上に立って構築された、平和維持のための機構に他ならない。第二次世界大戦前、米英など先進的な資本主義諸国はいわゆるブロック経済圏を設けて自らの市場を囲い込み、その市場に参入できなかった日本、ドイツなど後進資本主義諸国が暴力によって、市場の奪取と資源の獲得を試みたのが第二次世界大戦の実相である。戦後関税によって保護されたブロック経済圏への反省の上に立って、自由貿易による自由な経済競争を(様々な激変緩和の留保をつけながらも)確保すること、すなわち国際貿易における「楽市楽座」が世界のルールとなったはずである。いまトランプ大統領は、自国の目先の都合で、その関税の禁忌にあえて手を付けようとしているのではないか。
今月の言葉
2026年7月31日
楽市楽座
