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今月の言葉

2017年2月1日

クラクション

 車のクラクションを、法律用語では、警音機と言うのだそうだ。まあ、平たく言えば「警笛」と和訳するのが妥当なところかもしれない。

 クラクションは、自動車が自分に気づいてくれない他者(他の車でも、人間でも、動物でも)に自己の存在を気づかせるために音を発する道具である。相手が自分の存在に気づいてくれない場合に、危険が発生する時に鳴らすというのが、クラクションの正しい使い方である。
但し、見通しの悪いところで「警笛鳴らせ」の標識が設けられている箇所では必ずクラクションを鳴らさなければいけない。

 上記の通り、クラクション発声の本質は、「私に気づいて!」というアピールであるが、世の中には、危険発生の可能性以外にも「私に気づいて!」とアピールしたい者がいて、本来の目的を超えてクラクションを鳴らす場合がある。

 一昔前の暴走族が、馬の嘶きのようなけたたましい音を鳴らして、街頭を行進したのは、まさに「私に気づいて!」の典型である。重量級のトラックが制限速度を超えて彼方から疾走してきて、こちらを見つけるなり「ブァー」とクラクションを鳴らすのは「どけ、どけ。俺様が通るぞ。」という意志の表明である。狭い路地の両方向から大きい車がやってきてすれ違えない場合、片方の車がクラクションを鳴らすのは「おまえが後ろに下がれ」という要求の意味である。上記三例は、いずれも威嚇の目的でクラクションを鳴らすのであって、自然界における野獣の咆哮に近い。北海道の山奥などでは、鹿や牛の群れが延々道路を渡る間、自動車は赤信号だと思って待つのがマナーであるが、時々事情を知らない都会者が、相手を動物だと侮って「早く渡れ」という意味の威嚇のクラクションを鳴らす。これは動物の群れを驚かして、暴れさせたりする大変危険な行為である。

 それとは、正反対に、狭い交差点などで相手の車が道を譲ってくれたときに、こちらが警笛を鳴らすのは、威嚇ではなく「ありがとう!」というお礼の意味である。が、狭い交差点に面して建っている家屋の住人にとっては、常時この「ありがとう!」のクラクションに悩まされなければならないので、ほんとうは、「ありがとう!」のクラクションも礼譲に反する行いである。また最近、あるタレントが、クラクションを鳴らすと「あ、○○だ。○○が威張っている」とファンに思われるので、なるべくクラクションを使わないようにしている、とラジオで言っていた。これは「存在に気づかれたくないので、使わない」という意味で、サングラスをかけて町中を歩くような行為に似ている。いずれも危険な行為である。サングラスをかけて町を歩けば、物体は見えにくくなるし、日常クラクションを使わないように心がけていると、危険に遭遇しても咄嗟にクラクションに手が伸びない。

 凡そ、日本の運転者には二種類の者が存在する。一方は、車に乗ると急に人格が変わり、威嚇のクラクションを鳴らし、(車の中だけだが)周囲の車を口汚く罵りながら運転する。

 他方は、クラクションが必要な場合にも鳴らさず、できるだけ車の流れの中に埋没して、自分に気づかれたくないタイプである。だが、「相手に存在を気づかせる」「相手の存在に気づく」行為が威嚇や怯えにつながるような社会はどこかが間違っているのではないか。