先月に続き民主主義に関するキーワードから「民主主義とは何か」を考える。
「トーリーとホイッグ」
近代市民革命前後の英国において、王権神授説を唱える国王に随身する保守貴族勢力がトーリー、議会に拠って政治を行おうとする開明的貴族と大商人達の勢力がホイッグである。前者がアリストクラシー、後者がデモクラシーの系譜を継いだ。
英国では、一時国王を倒して議会が主権を把握し、議会が任命した「護民卿」という者が統治を行ったが、うまく行かず、後に国王が復帰した。トーリーは議会の存在を認めて議員を送り、ホイッグは国王の統治を認めて、議会を通じ国王統治の抑制を図った。
アメリカ独立戦争にもトーリーとホイッグは存在した。トーリーは英国国王派なので概ね植民地維持を唱え、ホイッグは民主派なので「代表なければ課税なし」を唱えて英国からの独立を志向した。
「自由な政治と独裁政治」
イギリス、アメリカ、フランスなどで近代市民革命が一応成功すると、行政を担う統治者から、相対的に自立した議会という存在が重要視されるようになった。議会は人民の選挙によって選ばれるので、統治者の恣意をチェックすることが出来、場合によっては革命などの手段によらず合法的に統治者を解任できるようにもなった。そうした、選挙権の行使によって人民が統治者からの自由(主には統治者の意にそまない言動によって拘束を受けたりすることからの自由)を獲得することを以て民主主義の勝利と呼んだのである。一方で、こうした選挙による抑制を受けない統治者を独裁者、独裁者が行う政治を独裁政治「ディクテーターシップ」と呼ぶようになった。
「ポピュリズム」「衆愚政治」
ところが近代後期に入ると、選挙民たちが政治的な熱狂によって独裁者を選挙してしまうという例が発生するようになる。典型的な例はナチスドイツのヒトラー(合法的な選挙によって政権を獲得した)だが、最近もアメリカの前大統領トランプなどは、一種の衆愚政治をみずから演出し、大衆を扇動して大統領に選出された例として記憶に新しい。
「プロレタリア独裁とブルジョア独裁」
マルキシズムの世界では、民主主義の判定基準を「どのような制度によって政治が行われているか」ではなく、「どのような勢力が実権を握っているか」に求める。近代社会の英国議会は実質貴族と大商人が実権を握っていたから「ブルジョア独裁」であり、革命後のロシアは工場労働者が実権を握っていたから「プロレタリア独裁」なのでより民主主義に近いというような見方をする。昨今の中国も共産党の独裁政治によって人民が食べられ、外国から侵略を受けない強い国になったのだから、それが民主主義であるという見方をしているようだ。が、現代中国のような独裁政治は、明治初期日本の大久保利通や少し前のインドネシアのスハルト等が行った開発独裁という政治形態の一種であり、一時的に有効であっても、長い目で見れば民主主義の常態とは言えない。
結論として、民主主義とは、統治者の権力行使に対して、それを抑制する政治のメカニズムがあり、人民による選挙を通じて抑制のメカニズムが適切に行使される状態であると思う。愚かな民が愚かな政治家を選ぶことがあったとしても上記の抑制機構を維持できれば、いずれは回復できる。