「久しぶりに、手を引いて、親子で歩ける、うれしさに、小さい頃が、
浮かんできますよ、おっ母さん、ここが、ここが二重橋。
記念の写真を、とりましょうね」
(船村徹作曲、野村俊夫作詞「東京だよおっ母さん」)
高齢の読者は、島倉千代子の歌ったこの歌をご存じの方も多いと思う。
さて、その二重橋の話である。
二重橋と言えば次のような姿と思っておられる読者が大半であろう。
だがこの橋は皇居の「正門石橋」であって、正確には二重橋ではない。
正門石橋の手前は、外部に開放されている。この橋を渡ると皇居の正門があって、そこから先は、一般参賀の時とか、皇居に特に招かれた人等しか入れない(下図の青い丸で囲まれた部分参照)。
正門を入ると、右にくるっとUの字に回って、もう一度鉄橋を渡ると新宮殿前の広庭に出ることが出来る。一般参賀や天皇誕生日参賀などでは、この場所に面したガラスで囲われたテラスに両陛下や皇族方がお出ましになり、国民が日の丸の小旗を振ってお祝いを申し上げる。
さて、正しい意味での二重橋は、現在は存在しない。場所としては現在の正門鉄橋(下図の赤い円で囲まれた場所にある)にかつて存在した橋桁が上下二段、二重の木の橋が、江戸城西の丸の「二重橋」と呼ばれていたのである。
この橋は、昭和39年(1964年-東京オリンピックの年である)に皇居新宮殿の造営と共に鉄橋に掛け替えられたとのことである。
木造の頃の二重橋の写真を探したが、見つけられなかった。代わりに、あるブログに木造二重橋の想像図が掲載されていたので、管理者の許諾を得て、以下に転載する。
ちなみに、宮内庁のホームページを見ると、この皇居正門の石橋、門、鉄橋一帯を「二重橋」と総称している様にも見える。二連の石橋を二重橋と思い込んでいる人があまりに多くなったからかもしれない。
冒頭に掲げた、「東京だよおっ母さん」の主人公は、おそらく東京駅(この歌の出来た1957年当時、地下鉄千代田線二重橋前駅はまだ存在していない)から幅の広い行幸通りを歩き、内堀通りを左折して、現在の二重橋前交差点から、広い砂利の道を踏んで、母親の手を引いて皇居正門前に至ったのであろう。
「記念の写真」は、二連の正門石橋を背景としたものであったに違いない。