お役立ち情報
COLUMN
クラブATO会報誌でおなじみの読み物
「今月の言葉」が満を持してホームページに登場!
日本語の美しさや、漢字の奥深い意味に驚いたり、
その時々の時勢を分析していたりと、
中々興味深くお読み頂けることと思います。
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オンライン その2
前月に続き、オンライン○○についての、整理と論評である。
【オンラインファッション】 既製服をオンラインで注文するには、つねにサイズの不安がつきまとう。ブランドによって、S,M,Lのサイズ表示は微妙に違う。試着せずに自分にあったサイズを求めることにはリスクがある。そこで、この稿の筆者は、かなり以前、駅構内やショッピングセンターなどにある証明写真ボックスに似た「人間シルエット測定器」の広範な設置を提案したことがある。これは、箱の中に人間が入って服を脱ぎ、頭の頂から靴の先まで、洋服・靴のオリジナル作成に必要な寸法諸元をスキャンしてもらい、web上に登録する装置である。試着室での脱ぎ着程度の時間で登録は可能である。これさえあれば、webカタログで見たモデルの服装を、そのままAIが自分用のオートクチュ-ル(注文服)に仕立ててくれる。実際にはzozoが似た様なことをもう少し簡易にしたビジネスモデルで実施している。
【オンライン診療】 いまや感染症拡大防止と、医師の生命を守るためにオンライン診療は欠かせないシステムとなりつつある。これも平時には、「初診は対面で」とか、いろいろな制限が付加されていたのだが、今次の新型コロナ事変で漸く、より制限の少ない形で普及が始まることになった。
が、医師が的確な診断をオンラインで下すためには、患者の訴えを聞き、診察することと並行して、各種の検査が不可欠となる。新型コロナウィルス感染が蔓延して、はじめて検査者をリスクから守る安全な検査を、速やかに多数行うことも、問われるようになった。
今後は患者が自分でバイタルデータを測ることができる検査装置を開発し、そのデータをオンラインで医師に送信することが、オンライン診療を促進するためにも必要となるだろう。血圧、心拍数、体温などは割合簡単に、腕時計くらいの装置で、オンライン化できるだろう。だが、問題なのは血液検査であると思う。(既に糖尿病などでは、患者自身が血糖値を図るキットが普及している)
【オンライン選挙】 選挙のための投票も選挙運動も基本的には「人寄せ」によってこれまで行われてきた。その意味で、選挙のオンライン化が実現すれば、感染症対策上かなり有効であることは論を俟たない。まず選挙そのものについて言えば、マイナンバーカードを(強制的にでもよいから投票券の代わりに郵送するのでも)普及させ、選挙権の行使をマイナンバーと紐付けて行うことが急務である。マイナンバーと紐付いた電子的な投票であっても、「誰がどの候補者に投票したか」を分からなくするスクランブルの技術は既に開発されて、政府の作った電子投票のソフトは存在している。が、技術実証のための実験で失敗して現在お蔵入りになっているらしい。
次の重要なポイントは、在宅投票である。
高齢化が進む現在、また海外在住者も多数存在している現在、投票所や大使館に足を運ばなくて済む仕組みの開発は急務である。これも、マイナンバーカードとの連携によって、実現できる。が、投票する者を、家族や入居施設の管理者等が監視したり、強要したりしないことをどう担保するかが問題である。もう一方のポイントは、【オンライン選挙運動】のためのノウハウ開発である。候補者が自らの名前を連呼して、選挙区を走り回り、集会や街頭演説で人寄せをすることは、どのようにして避けられるか。ウェブサイトやSNSなどを用いた選挙運動の成功例をつくることが急務である。今年11月に予定される米国の大統領選挙あたりが、そのチャンスであろうと思われる。
2021年6月1日
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オンライン その1
新型コロナ感染症の蔓延で緊急事態宣言が発せられ、市民一同在宅待機、外出自粛となって、急速に普及し出したのがオンライン○○の類である。それらの中には、過去既に開発されて活用が始まっているものも多いが、この社会状況の中で、一気に使われ出したものも少なくない。以下多くのオンライン○○について、整理しながら述べたい。
【オンライン授業】 学校教育を映像で行うという意味では、50年以上前から、科学映画や教育テレビなどでコンテンツがつくられ、作り方も既に成熟している。また、今世紀に入ってからは、衛星放送によって地方の受験生に予備校の授業が配信される事例も増えてきた。つまり、誰かが相当な準備をして動画による授業を配信するということについては、日本社会のインフラは既に整っている。が、学校というところは、生身の先生が、生徒と対面で授業をすることを身上としているので、いきなり学校が休業になると、アカの他人の作ったコンテンツを生徒に見せるのではなく、先生が自分で行う授業をテレビ会議に近い方式でやりたいと言うことになる。
この種のテレビ授業のソフトも、ここ数年普及が始まっており、なかなかよく出来たものもあるのだが、如何せん平時には当の先生達が、そんなものを使う意欲があまりなく、白墨と黒板さえあれば、学生生徒は学校にやってくるものだと思っていたので、急に日本中の学校が休業しても、先生がソフトの使い方を知らず、十分な対応ができないというのが現状である。生徒の方もみんながパソコンを持っている訳ではないので、オンライン授業に対応できない者もいる。要すれば、先生達が教員免許を取るときに、オンライン授業のやり方の基礎を学び、且つ貧乏な生徒にもパソコンかタブレットを配る制度を設ければ、今後は何が起きてもオンライン教育は、可能となるだろう。もっとも平時に戻ったときに先生が再び安心してしまい、オンライン教育への意欲を失わなければの話だが。
【オンライン会議】 ビジネス用のテレビ会議から、帰省できない核家族が、おじいちゃんおばあちゃんのもとに【オンライン帰省】とかをするためから、とにかく他人とのコミュニケーションを、webを通じて行うインフラは、ハード、ソフトともかなり整っている。緊急事態宣言が発せられると、企業、ビジネスの世界では比較的スムースに在宅勤務、オンライン化が進み、某電気会社社長の言うにはかえって以前よりディシジョンメーキングが効率よく為されるようになったとか。但し二つこれでは解決しない問題がある。一つ目は、工場や建設現場、農漁業などで、人間が、情報ではなくモノを取り扱う世界。二つ目は、きわめてセキュリティの高い情報を扱い、会社のサーバーから自宅に情報を持ち出せない場合、あるいはテレビ会議を誰かに覗かれない工夫等が必要な場合である。
【オンライン飲み会】 これは、筆者も試みたことはあるが、世界各地の事業所の従業員が、酒を飲みつつ相互交流するとか、酒を飲みながら、オンライン会議をやるとか、特別の事情がない限りあまりうまくは行かない。飲み会運営は、参加者の酔い具合、つまみの頼み方等かなり微妙な技術が必要でありオンラインでは難しい。仮想世界で初音ミクかなんかと飲み会した方がまだましである。
【オンラインデート】を恋人同士でするというのも、そもそも究極の目的は「濃厚接触」にあるのだから、恋文や長電話程度の効果しかなく、隔靴掻痒、もどかしさを解消できない。一方で、家族間の場合、コミュニケーションの目的は「濃厚接触」にはなく、「お互いの無事」を確認することにある場合が多いので、既存のソフトウェアで十分事足りる。(以下次号に続く)
2021年5月1日
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政治の手ざわり
平時、つまり新型コロナウィルス感染症が蔓延する以前において、この稿の筆者は、政治の手ざわりについてこんな感想を持っていた。すなわち、都会の住民より、地方の住民の方がはるかに政治(家)を身近に感じる機会があるという感想である。
都会の住民にとっては政治をもっとも身近に感じるのは、ゴミの収集くらいで、そのほかは、税や年金の徴収すら(所得税も社会保険料もサラリーからの天引き、消費税も最近は内税表示)「見えない化」が図られており、道路、橋、水道などのインフラは自分が生まれるより前から「そこに在る」ものなので、なくならない限り恩恵を感じられない。なにより、一般庶民が政治家のところに陳情に行く機会はまずないといってよい。
とくに、縁がなさそうなのは、都道府県のレベルの自治体で、ほんとうは教育委員会とか水道局とか旅券事務所とかけっこうお世話になっているはずの部局が在るのだが、どれも皆国の出先機関のように見えてしまい、なにか大きな方向を決めているのは国の役所のように思えてしまう。では、国の政治はというと、議院内閣制といういわば間接民主主義で成り立っているから、選挙に投票したところで自分の意見が国の政治に反映されるという実感には乏しい。
一方、地方に住んでいると、地元の有力政治家が出世して総理になれば、東京の「桜を見る会」なんていう国家行事にも招いてくれる機会もあるだろうし、そうでなくとも、地元のナントカ会の集まりに顔を出せば、国、県、市町村各級議員の一人や二人は必ず来ていて、主催者の迷惑を顧みず、一言挨拶することになっている。道路や橋などのインフラは、まだ地方では若干は不足しており、我田引水を求めて早く自分の周囲のインフラを整備してもらうには、陳情で議員に面会することは不可欠である。そもそも、選挙自体が、地域のお祭り的な行事という意味では、きわめて身近である。市区町村議員なんていうのは、近所のオジサン、オバサン達の中から目立ちたがり屋がなるものだし、国政選挙ともなれば、その近所のオジサン、オバサン達が毎日いずれかの候補者の事務所に出入りし、目の色を変えて、勝ったの負けたのと騒ぎ立てる。さらに言えば、子供の就職、嫁、婿の世話など地元のセンセイの秘書を通じてちょっとした口利きのお願いをする場合もままあり、そういう場を通じて一般庶民といえども、政治のミニ利権に組み込まれてしまう機会は数多くある。
上記都会、地方を通じても、一番影の薄い、庶民から遠い存在は、都道府県庁と知事だろうと筆者は思っていた。とりわけ知事なんて者は、候補者の政策ではなく、支持する国政政党の推薦を受けた者か、そうでなければ、テレビに出演しているので顔をよく知っている、あるいは見た目が清新な感じがする人というような印象で選んできたような気もする。
ところが、このところ新型コロナウィルス感染症が、蔓延するに及んで、都道府県という役所と知事という存在は、一挙に身近なものになった。対策の陣頭に知事が立ち、しかも、すくなくとも総理とか国レベルの当事者よりは、かなり現場感覚のある発言、発信を私たちにしているのを見ると、政治の手ざわりが感じられるのである。そして知事達の中には筆者が政治的に支持している方もそうでない方も居られるが、おしなべて役人の書いた実感のない調整的な文言や空疎な修辞を述べる国の政治家よりは、手ざわりが良い。今更ながらに、知事の選び方をおろそかにしてはならないと思う。地域の指導者を私たちが直接選挙で選ぶというメカニズムを再評価したい。
2021年4月1日
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告 解 (続)
前号では、この稿の筆者がカトリックのキリスト教徒の家に生まれ、生まれて直ぐに幼児洗礼というものを受けさせられてクリスチャンになったこと。子供の頃からカトリック教会の「公教要理」という宗教教育を受けて、教会内での「初聖体拝領」とか「堅信の礼」などの通過儀礼もとびきり早く受けて、信者としての出世が早かったこと。だが、毎週自らの罪を教会で告白させられる「告解」という儀式が次第に心の負担になってきて、遂には教会を離れるようになったこと。などを述べた。
筆者にとって、「告解」の儀が心の負担になってきたのは、自らの犯した罪を告白させられるからではなく、筆者の記憶として毎週のように「罪」などを犯しているという自覚がまったくないのに、教会の御堂内に設置された告解ボックスの中で、神父さんに「犯したはずの」罪の告白を強要されたからである。神父さん曰く、人間たる者、一週間生きて罪を犯さないはずはなく、もしも何も罪を犯していないというならば、「それはあなたの傲慢である」というのである。そこで筆者は仕方なしに犯してもいない微罪をでっち上げて告白し、お茶を濁してきたのだが、よく考えてみれば、毎週そのような嘘をつくことの方が、よほど罪深いと思い直し、結局教会を離れたというのが、前号までの話の要約である。まあ、筆者としては、テレビドラマの時代劇でよくある話で、何も罪を犯した心当たりがないのに、奉行所の裏手で、心ない同心、与力に責め道具で拷問される町人といった気分である。
さて、この話にはさらに後日談がある。それは筆者が中学に入ってしばらく後のことであった。
帰宅してみると、我が家に客が来ていて、二十歳を少し過ぎたくらいの若い神学生が私を待っていたのである。その神学生が言うには、立派なキリスト教信者(筆者のこと)が、神の御許を去ろうとしているので、迎えに来たとのこと。しかもどうやら、神学校が何故その者を我が家に派遣したかというと、どうもそれ自体が彼に対する試験であって、彼は私を改心させ教会に戻すことが出来れば神父になれる、失敗すれば神父になれないということらしかった。つまり、私の改心に彼の神学校卒業がかかっていたらしいのである。
なので、彼は真剣に筆者を説得しようとした。だが、聞けば聞くほどその神学生の言うことは、さっぱり分からない。要するに、彼の言うには、私は神という者と、信者となる契約をしたのに、心が弱く迷いが生じて、神から離れようとしているというのである。たしかに神学生である彼は、そのときの私より少し年上の時に、自ら神の存在を信じて、「神との契約」である洗礼を受けたらしい。ところが、筆者がその契約を何時したかというと、生まれて七日目のことだという。それはなんでも私の両親が、万一私が夭折したときに洗礼を受けていないと天国に行けないという教えを真に受けて、保険に加入する気持ちで洗礼を受けさせたのであった。生後七日の赤子に、自分の意志などあるわけはないので、「神との契約」などと言われても、筆者にとっては郵便局の勧誘員に騙されたみたいにしか、思えない。ついでに言えば、「罪の告白」を強要して信者の子供に嘘をつかせる教会のやり口は、筆者としてはなんとも気にくわない。そのことに対しても、神学生の言うには、毎週自分の犯した罪を告白できないような者は、すでに悪魔の誘惑にとらわれているとのことで、もはや筆者と神学生の言い分は完全にすれ違い、筆者は、強い自覚を以てキリスト教徒をやめる決心をしたのであった。
それにしても、彼の神学生は、その後神父になれたのだろうか。
2021年3月1日
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告 解
特定宗教の儀式の是非を論じるのは本欄にはふさわしくないかもしれないが、以下はこの稿の筆者の実体験に基づくもので、なんら脚色せずに述べることをご容赦願いたい。
筆者の両親は、敬虔なカトリックのキリスト教信者であった。もう少し詳しく書くと、両親は敗戦後の日本で、人生の価値のよりどころを求め、自らの意志で洗礼を受けて信者となり、教会で知り合って結婚し、程なく筆者が誕生したのである。彼らは生まれたばかりの筆者にも、当然ながら幼児洗礼を施した(カトリックの教義によれば洗礼を受けないまま夭折すると、その子は天国に行けないのだそうだ)。その後も筆者が進学するごとに学校の連絡簿に、「家庭の教育方針」は「カトリック教義に基づき・・云々」とか書かれてあった。小学校の中頃からは家の近くの教会で毎週行われる「公教要理」とかいう一種の宗教教育の塾みたいなものに通わされた。なにせ、絵に描いたような敬虔な信者の家の子であるから、教会に通う子供達の中でも筆者はエリートで、初聖体拝領だとか、堅信の礼だとかもとびきり早くにクリアし、教会の期待する若きホープの一人であったのだ。
だが、そのような宗教教育が、本当には筆者の身についたものではなかったことが、やがて判明する。小学校も高学年に進むにつれて、筆者の心の中に、むくむくとカトリックの教えに対する疑問や反発が頭をもたげてきたのである。わけても困ったのが「告解」(今日のカトリック用語では「赦しの秘蹟」、一般の日本語では懺悔~これも仏教では「さんげ」、キリスト教では「ざんげ」というらしい)という名の奇妙な儀式である。 これは毎週一回、教会堂の中に設置された木製のボックスの中に入り込んで、己れが犯した「罪」を告白させられる、と、いう儀式なのである。ボックスの中は真ん中で仕切られていて、仕切り壁に小さな窓が付いている。仕切りの向こう側には神父さん(誰が入っているかわからないことになっているが、地域の教会の神父なんてものは一人か二人しか居ないから、誰かは直ぐに分かってしまう)が居て、筆者の「テストの悪い点を親に隠しました」とか「親の言いつけに背いて遅くまで起きていました」みたいな他愛のない「罪」の告白を聴いてくれることになっている。そしてだいたいはちょっと神父さんのお説教があった後で、「めでたし聖寵満ち充てるマリア」とか「天にまします我らが父よ」とかいう短いお祈りを、罪の程度に応じて量刑のごとく何回か唱えると、無事「神様はお赦しくださいました」ということになって、無罪放免という訳なのである。
しかし、翌週例えば「今週は何も罪を犯しませんでした」とか告白したりすると、「君はなんと傲慢なのか(人間だもの、罪を犯していないわけがない)」と、軽罪を犯したときの何倍も叱られてしまうのだ。しかし十歳くらいの子供がそうそう罪など犯すわけがないし、傲慢とか言われると、開き直って「では罪とは何か、例示せよ」と神父さんに議論をふっかけたくなる。そのときは、たしか向こうは「モーゼの十戒」かなにかを持ち出してきたのだと思うが、だいたい姦淫とか殺人とかいう罪は大人が犯すものであって、子供がそうそう犯すわけはないのだ。
そこで私は、しばらくはつじつま合わせに犯してもいない軽罪をでっち上げて告白してきたのだが、そのうち告解という制度がある故に嘘をつくという方がよほど罪深いと悟り、次第に教会そのものに行かなくなってしまった。「心の罪をうちあけて更けゆく夜の月すみぬ」(i)という歌の文句があるが、宗教で言う罪とは、刑法のように細かい定義があるわけではなく、いわば「心のやましさ」である。
告解、懺悔で神仏に赦しを乞い、心が安らぐのは大人になってからの話なのではないか。
(i) サトウハチロー作詞、古関裕而作曲、藤山一郎歌、「長崎の鐘」
2021年2月1日
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入試改革(再)
2018(平成30)年8月に「入試改革」を掲載したときも、、入試改革反対論者は「まだどうなるかわからない」と、余裕綽々で言っていたものだ。が、流石にこの稿の筆者も、十年ほど前から進められ、2021年2月をめざしてきた入試改革が、ガンラガラガラと崩壊し、土壇場に来て何もかもが跡形もなく消え去ってしまうとは思わなかった。が、一昨2019年暮れに起きた大ドンデン返しによって、今次入試改革の二つの目玉であった「民間英語検定導入」と「センター試験への記述式導入」は、いずれも消滅の憂き目を見て、当分は復活する見込みはない。痛恨とはまさにこのことである。
本号ではそのことについて、少し詳しく述べてみたい。
先ず「民間英語検定」を以て、大学入試の英語科目に替える動きについてだが、2020(令和2)年2月「ちゃんとした英語」に於いて述べた如く、TOEFL、IELTSといった国際的に通用する英語検定試験を以て従来の大学入試の英語科目に替えることは、我が国の中等英語教育を国際的に開かれたものとし、生徒の英語力を国際的な標準で評価するために望ましいばかりでなく、緊要なことであった。ところが、導入の過程で、こうした国際的に通用する英語検定ばかりでなく、かねてから文部科学省主導で進められてきたいわゆる「英検」が加わり、さらに大手国内業者の推進するGTECなどがこれに加わるに及んで、話が少し複雑になってきた。これら多数の検定試験のスコアを横並びで比較するためにCEFR(外国語の学習、教授、評価のためのヨーロッパ共通参照枠)なんてものが持ち出されてきたのだが、もともと違う団体が異なる評価軸で英語力を測ろうとしているものを、むりやり横並びに比較しようというきわめて日本人好みの技には無理があったのだと言わざるを得ない。さらに言えば、民間英語力検定が潰された直接の理由は、「田舎では、検定を行う機会が都会より少なく、また田舎から都会に出て検定を受けるためには費用もかかるので、公平を欠く」と言うことらしいが、これはあまりにもとってつけた理屈で到底首肯できない。なぜなら、上記の英語力検定の多くは、インターネット経由でどこに居ても受験できるタイプのものが用意されており、また、必要であるなら、政府の力を持ってすれば、ネット受験などの仕組みを構築するのは至極簡単だからである。英語検定は国際的に通用する事業者の行うコンピュータ方式のものだけにすべきであったのだ。
次に、話を「記述式」に移す。「記述式」が「短答式」に比較して、受験者の考える力、論理を構築する力を測る上で、有用であることは誰でも容易に察しがつくことである。が、記述式の回答を公平に審査するためには、フィギュアスケートとか体操の採点のように、5人くらいの審査者が主観で採点し、最高点と最低点を切り捨てて真ん中の三人のさらに平均点をとるというような、きわめてコストのかかる手順が必要である。これを少子化したとはいえ数十万の生徒が受ける新しいセンター試験に持ち込もうとしたことに無理があったのではないか。且つ、採点を数十万人分民間事業者に委託しようなどというのは、安易過ぎる。ではどうすればよいのかというと、センター試験では「短答式」の知識を問う問題に徹し、これを「資格試験」に用い、各大学が独自に行う二次試験に於いて、記述式と面接を組み合わせた手のかかる評価を少数の受験者に対して行うべきであったのだと思う。
結論として、センター試験を「資格試験」に置き換え、高校在校中に複数回受験できるようにするという、最初の構想が消えたあたりから話がおかしくなったのだ、と、筆者は思っている。
2021年1月1日
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絆
絆(きずな、きづな)は、本来は、犬・馬・鷹などの家畜を、通りがかりの立木につないでおくための綱。しがらみ、呪縛、束縛の意味に使われていた。「ほだし」、「ほだす」ともいう。人と人との結びつき、支え合いや助け合いを指すようになったのは、比較的最近である。
(Wikipedia)上記の通り、人と人との結びつきは、時として、一方、または双方の人を束縛するものでもある。
東日本大震災に際して、津波が襲った地域の多くは、東北沿岸の田舎の漁村であった。これらの地域では、もともと共同体の結束が固く、それだけに隣家との日常を津波が破壊してしまったことは、住民にとって大きな被害であった。山の上に設けられた被災者用のプレハブ住宅には、見ず知らずの隣人が入ってきて、新しい人間関係を一から作り直す必要があり、それは入居者にとってかなりのストレスであった。そしてせっかく新しい隣人とも仲良くなれた頃には、入居期限が来て、かさ上げされた元の土地に住宅を建てるか、どこか家族などの住む別の地方に引っ越すかの選択を求められ、つかの間の「絆」とも分かれなければならなかった。
報道では、そうした被災者のストレスに「寄り添い」、被災者ができるだけ結束の固いコミュニティに、ふたたび属することが出来るように呼びかけ、そうした地域の絆の復活を全国民挙げて支援すべきことを訴える。「絆」は、被災から時がたった今でも、忘れてはならない大切なこととされている。
この稿の筆者は、上記のことが、東北の、人の出入りの少ない寒村のことである限り、あえて異議を唱えようとは思わない。だが、それは都会に住む者の日常感覚からすれば、かなり違和感を持たざるを得ないことでもあるのだ。たとえば、筆者は60年余の人生で、隣人の家に靴を脱いで上がったことは一度もない。隣人とは、概ねゴミ収集日の朝とか、交通事故や火事が近くであった時などに偶然顔を合わせ、簡単な挨拶を交わす程度の存在である。隣家の家族構成だって、筆者は詳しく知らない。
また、全国型企業の会社員になれば、突然の転勤で知らない地に住まなければならないのは、いわば約束事であり、会社から「君、来週から○○県の勤務だから・・」などと言われても、抵抗するすべはない。「人生至る所に青山あり」と自分に言い聞かせて、新しい勤務地に早く楽しみを見つけようと努力するしかない。世間でも、会社員の定期的な転勤をとくに非人道的なこととは言わない。転勤は、会社員であれば当然のことであり、運命(さだめ)と言ってもよい。
では、会社員に絆はないのか。かつて日本の会社員には、地域の絆こそなかったが、終身雇用・年功序列制度に基づく「企業ムラ社会」的な絆は極めて強くあった。会社は終身雇用を守る代わりに社員を彼方此方に転勤させ、能力があっても一定の年季を経なければ登用しない人事制度をつくることで、社員全般の不満を分散し、「絆」の強化を図ったのである。
今日、田舎が過疎化し、限界集落が増えることにより地域の絆は弱まり、終身雇用・年功序列制の崩壊によって、企業の社員間の絆も弱くなった。今世紀に入って、震災が来なくとも、身近な日常生活で、人間同士をつなぐ「絆」はこの国からどんどんと消えようとしている。だがそれは、社会の変化であっても、人間の自然に反することとまでは言えない。筆者はむしろ、個人原理に基づいて、見知らぬ人、多様な人々とつながることができるような、新しい「絆」の在り方を追求したい。
2020年12月1日
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ク ラ ブ (続)
むかし、この稿の筆者が体験した、クラブにまつわるお話を二つ。
「おい、ホーンブロワーって知っているか」と支店長が尋ねた。ホーンブロワー・シリーズは、ナポレオン戦争の頃の英国海軍軍人のお話。「のらくろ」の様に物語の中で出世して、やがては戦列艦の艦長になって大活躍する。で、支店長ご贔屓のクラブのママさんが、その本を読んでめっぽう面白いということで、支店長にその話をしたらしい。物知りの支店長にしては珍しく、その本のことを知らなかったものだから、口惜しがって、支店内では読書家で通っているこの稿の筆者にお尋ねがあったという次第。ちょうど大学の終わりから就職したての頃、筆者もそのシリーズにはまっていたので「はい、はい」とばかりにホーンブロワーの蘊蓄を支店長に伝授したところ、「話のつまみに」と、そのご贔屓の高級クラブに連れて行っていただいたのが、この稿の筆者と高級クラブのご縁の始まりである。その後、このクラブには、ホーンブロワーの御利益か、一人で行っても一切ロハ(無料であることの業界用語)で呑ませていただいた。先輩達からは、嫉妬もあって「君は無料と思っているかもしれないが、君が呑みに行った分はしっかり支店長の勘定についているのだから、注意しろよ」なんて言われたりした。このクラブは某巨大自動車会社と某大手商社の鉄鋼部門が、商談の後で二次会に使うだけで成り立っている店で、支店長はもとより、私の飲み代など勘定の内にも入っていないことを知ったのは、ママさんに随分かわいがっていただき、こちらもお礼に年末の大掃除を手伝ったり、税務申告前の帳付けのお手伝いなんかをするようになった後のことである。年齢が極端に若かったこともあり、ママさんやホステスさんと色恋沙汰があったわけでもないが、クラブ接待のメカニズムを知るという上では、若い内によい勉強をさせていただいた。やがて筆者は東京本社の宣伝部門に転勤。銀座のクラブで、放送局や広告代理店に接待される立場になった。その頃の話をもう一つ。某県にはローカル放送局が四局あった。筆者の会社は、この県で宣伝しようとするとき、各局からテレビスポット枠を買う。筆者はその買付窓口という役割だった。だいたい、四局で入札してそのうち二局を買うということにしていたのだが、一年にのべれば四局平等くらいのお付き合いであった。あるとき、新設局の営業担当者T君が退職し、広告宣伝業界を去ることになった。そこで、筆者の呼びかけで、この県の担当広告代理店さん、そしてライバル各局の営業担当が、銀座のビヤホールで彼の送別会を開催し、ポケットマネーで記念品まで買ってT君の前途を励ました。一次会は割り勘で和やかにお開きとなり、その帰り道の話である。
ビヤホールの面した銀座通りを渡ると華やかなネオン街。誰かが「もう一軒行きましょうか」と言ったのかどうか、私たちは並んで歩いていた。すると、T君が突然立ち止まったまま動かなくなった。そこには、今でも存在するPという超々高級クラブが入っているビルがあった。T君は泣きそうな顔をして、「一生の思い出にPに行きたい」と言う。これには皆が青ざめた。Pにこの人数で入ったら、当時の金で10万円ではすむまい。そんな交際費は誰も持っていないし、第一、その場の誰もT君をクラブ接待する義理はない。そのときPに入った記憶はないから、きっと広告代理店さんが、Pの前から動かないT君を説得して、なんとか引き離したのではないか。T君は、業界を去ったはずだったのだが、しばらくして、東北地方某局の営業担当として業界に帰ってきた。筆者の担当ではなかったのでその後のことは知らない。が、無事に出世してPに出入りできる立場になったのだろうか。
2020年11月1日
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ク ラ ブ
クラブという言葉は多義である。学校の部活動もクラブなら、同窓生や何かの社会団体が運営する会員制倶楽部(たとえば、東京三田倶楽部、銀行倶楽部、日本工業倶楽部など)なんていうのもクラブである。また夜の巷のお店にも社交クラブと称するものがあり、これも音声で、冒頭の「ク」にアクセントがあるものと、後半の「ラブ」にアクセントがあるものでは、微妙に業態が違うらしい。今月のお話は、それら数あるクラブの中で、いわゆる銀座の高級クラブについてである。音声で言えば、「ク」にアクセントがある方である。
この稿の筆者が広告宣伝マンとして、銀座界隈を徘徊していたのは、20代の後半から30代の前半くらいの頃で、昭和五十年代、日本経済の高度成長が極まってまもなくバブル経済に向かうというよき時代であった。当時銀座の高級クラブは全盛期。この業態はもともと料亭遊び、茶屋遊びが主体であった戦前の財界が滅びて、戦後の復興期に、洋服、椅子席で、でも接待の女性が出てくる新業態が生まれ、それをクラブと呼んだのが始まり。まあ、バーとキャバレーの中間くらいの業態と思えばよい。クラブ顧客の主流は、新興の政財界人や文化人、それと企業の接待費を使える高級サラリーマン階級であった。酒場業態としての特徴はあまりなく、綺麗な女性が接遇してくれて酒を飲むだけの話で、おいしい食事がでてくるわけでも、しゃれた踊りやショーなどが演じられるわけでもなく、中級のクラブではカラオケというものが導入される場合もあったが、大半は生の音楽と言えばピアノくらいで、まあ当時のことだからビールやワインではなく、多くの客はウィスキーの水割りなんかを、女性に作ってもらって飲んでいたものである。(後に日本経済がバブル期に向かうにつれて、シャンパンのドン・ペリニヨンを盛大に抜くのが威勢のある顧客のスタイルになっていった)
当時銀座三悪といわれる企業があって、超大手広告代理店D社、巨大商社M物産、民放の雄T放送がそれであるが、これら企業が別に悪事を為していたわけではなく、あまりにも盛大に接待費を銀座のクラブにばらまいていたために、周囲の者が妬んで「三悪」と呼び習わしたものらしい。
これら企業の本社受付には月末になると、綺麗に髪を結い上げたクラブのママ連が掛け取りに押し寄せ、ロビーは実に華やかな雰囲気につつまれたといわれている。「掛け取り」について言えば、そもそもクラブでの飲食費は、何を飲んだからいくらという明朗会計にはなっていなくて、帰りがけにその日の飲食費負担者に、店側が鉛筆でコショっと金額を書いた紙片を渡してくれるだけである。価格構成は、当該企業の持ち単価、客の人数、ボトルを入れたか、店に居た時間、付いたホステスの格式などを勘案して、ママが決める。そして後日、クラブの名前とは縁もゆかりもないナントカ商会といった堅い名前の企業(当該クラブのオーナー企業)から請求書が送られてきて、行儀のよいサラリーマンはすぐに交際費処理、出票して会社から振り込むのだが、なかには机の中にながくクラブの請求書をため込む質の悪い者も居り、さらに剛の者は、掛け取りに来たママに「これまでの分全部を払うから、まとめて半額にしろ」などと交渉したりした。「三悪」とはそういう剛の者が多い会社のことであると解説する人もいる。さて、筆者の年代はちょうど脂ののりきったホステスさんたちと同年配であったはずなのだが、彼女たちはたいがい年配のオジサマ達の相手をしており、筆者の相手などしてくれなかった。かろうじてその貫禄ホステスさんに付く、ヘルプさんという二十代そこそこのアルバイトのようなひよっこが、そっと筆者の水割りを作ってくれたのである。
2020年10月1日
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自由性愛
1960-70年代、自由性愛あるいは、フリーセックスという言葉が一時流行した。とくに地球全体で見れば、北欧の国々において、性道徳がとても緩やかであるという定評があり、当時思春期真っ盛りであったこの稿の筆者などは、はるかな北欧の国々に強い憧れを持ったものであった。
1960-70年代、自由性愛あるいは、フリーセックスという言葉が一時流行した。とくに地球全体で見れば、北欧の国々において、性道徳がとても緩やかであるという定評があり、当時思春期真っ盛りであったこの稿の筆者などは、はるかな北欧の国々に強い憧れを持ったものであった。
さて、自由性愛という言葉には複義的なところがあり、「男女が、性欲の赴くままにその場限りの性愛を楽しんでいる」という意味と、「結婚前の男女は性的な関係を持ってはならないという性道徳にとらわれず、恋愛関係にある男女は性的な関係を持ってもよい」とする意味とがあった。
自由性愛に反対する者は、ことさらに前者の意味でこの言葉を使い、あたかも自由性愛者は、毎日乱交パーティーを行っているかのごとき印象を世間に植え付けようとした。だが、実際に自由性愛を行う者達は殆どが後者の意味でそれを実行していた。さらに言えば、この頃「婚前交渉」という中途半端な言葉もあって、「結婚を前提とすれば」性関係を持ってもよいと説く者もいた。
さて、1960-70年代に何故自由性愛というものが台頭したかというと、二つの理由がある。一つ目は、避妊技術が高度に発達し、自由性愛の結果子が生まれてくる確率が格段に減ったことがある。二つ目には、資本主義社会が高度に成熟し、労働力としての人間の価値が相対的に低下し(機械などに置き換えられた)結果、社会全体の風潮が「産めよ増やせよ地に満てよ」ではなくなり、出産を抑制する傾向が出てきたことである。その結果性愛は、結婚、家庭という枠組みの中での出産、育児という営為から離れた、いわば純粋恋愛の手段となったのである。
以前筆者は本欄に何回か人類の文化は「自己目的化」することに特徴があると言うことを書いた。生命維持のための飲食という行為が自己目的化してグルメ文化が生まれたのと同様に、子孫繁栄の目的であった性愛が自己目的化して、恋愛文化の一部に昇華したものが「自由性愛」であったのではないだろうか。
そもそも、動物としての人間の繁殖適齢期は、15歳前後。同じく動物としての人間がつがいで関係を継続する適当な期間は長くて5年程度と言われている。にもかかわらず、人類は近代国民国家を維持する「教育ある国民」をつくるために、学校という制度を世に普く構築し、繁殖適齢期を先延ばしにしてまで、教育を授けようとしている。最近の公共広告機構の宣伝では、「14歳で結婚しなければならない女の子が地球上に多数いる」ことをあたかも「解決しなければならない社会問題」としてうたっている。性愛においても、未だに社会制度・法制度は生涯を通じての一夫一婦制がデフォルトになっており、離婚、不倫等々はみな例外的に処理されている。これは、家庭という人間育成機関の整備が、近代社会にとって必要であったからそうなっていたのであって、生涯を通じての一夫一婦制が人間の自然というわけではないのである。
自由性愛は、近代国民国家を形成する社会的な枠組みが、次第にきしみを見せ、危なくなっている、その予兆として出現した社会現象であるといえる
筆者の見通しとして言えば、人口の抑制は地球上で人類が資源、食糧を確保する上で喫緊の急務であり、その角度からも自由性愛はますます進むと考えてよい。また、「結婚しない」で、且つそれなりの期間で恋愛関係を終えていくカップルの組み替えも進むのではないだろうか。
さて、自由性愛という言葉には複義的なところがあり、「男女が、性欲の赴くままにその場限りの性愛を楽しんでいる」という意味と、「結婚前の男女は性的な関係を持ってはならないという性道徳にとらわれず、恋愛関係にある男女は性的な関係を持ってもよい」とする意味とがあった。
自由性愛に反対する者は、ことさらに前者の意味でこの言葉を使い、あたかも自由性愛者は、毎日乱交パーティーを行っているかのごとき印象を世間に植え付けようとした。だが、実際に自由性愛を行う者達は殆どが後者の意味でそれを実行していた。さらに言えば、この頃「婚前交渉」という中途半端な言葉もあって、「結婚を前提とすれば」性関係を持ってもよいと説く者もいた。
さて、1960-70年代に何故自由性愛というものが台頭したかというと、二つの理由がある。一つ目は、避妊技術が高度に発達し、自由性愛の結果子が生まれてくる確率が格段に減ったことがある。二つ目には、資本主義社会が高度に成熟し、労働力としての人間の価値が相対的に低下し(機械などに置き換えられた)結果、社会全体の風潮が「産めよ増やせよ地に満てよ」ではなくなり、出産を抑制する傾向が出てきたことである。その結果性愛は、結婚、家庭という枠組みの中での出産、育児という営為から離れた、いわば純粋恋愛の手段となったのである。
以前筆者は本欄に何回か人類の文化は「自己目的化」することに特徴があると言うことを書いた。生命維持のための飲食という行為が自己目的化してグルメ文化が生まれたのと同様に、子孫繁栄の目的であった性愛が自己目的化して、恋愛文化の一部に昇華したものが「自由性愛」であったのではないだろうか。
そもそも、動物としての人間の繁殖適齢期は、15歳前後。同じく動物としての人間がつがいで関係を継続する適当な期間は長くて5年程度と言われている。にもかかわらず、人類は近代国民国家を維持する「教育ある国民」をつくるために、学校という制度を世に普く構築し、繁殖適齢期を先延ばしにしてまで、教育を授けようとしている。最近の公共広告機構の宣伝では、「14歳で結婚しなければならない女の子が地球上に多数いる」ことをあたかも「解決しなければならない社会問題」としてうたっている。性愛においても、未だに社会制度・法制度は生涯を通じての一夫一婦制がデフォルトになっており、離婚、不倫等々はみな例外的に処理されている。これは、家庭という人間育成機関の整備が、近代社会にとって必要であったからそうなっていたのであって、生涯を通じての一夫一婦制が人間の自然というわけではないのである。
自由性愛は、近代国民国家を形成する社会的な枠組みが、次第にきしみを見せ、危なくなっている、その予兆として出現した社会現象であるといえる
筆者の見通しとして言えば、人口の抑制は地球上で人類が資源、食糧を確保する上で喫緊の急務であり、その角度からも自由性愛はますます進むと考えてよい。また、「結婚しない」で、且つそれなりの期間で恋愛関係を終えていくカップルの組み替えも進むのではないだろうか。
2020年9月1日
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ガバメント・クラウド・ファンディング
はじめに、「ふるさと納税」のことを少し書きたい。周知の通り、「ふるさと納税」とは、自分が居住する地域以外の地方自治体に一定限度未満の金額を「寄付」すると、その分、自分が支払うべき地方税から控除されるという仕組みである。総務省あたりの頭のよい役人が考えたことだろうが、要するに都会の納税者の税金の一部を、無理なく地方に移動する仕組みなのである。だが、「ふるさと納税」で寄付をする者の大半は、愛郷心などでするのではなく、自分にとっては縁もゆかりもない、あるいは行ったことすらない地方自治体の「返礼品」に惹かれて寄付を行うのである。返礼品問題に立ち入ると、それだけで紙数が尽きるので、そこをスキップすると、この制度の欠陥は、特定の市町村を応援するという建前はあっても、地方自治体の何の政策を応援するという具体性に乏しいことにある。つまり、「ふるさと納税」の大半は返礼品目当て(この頃では、寄付金額の30%が返礼品という相場が出来つつある)であって、寄付者は相手先の市町村がどんな行政を行っているかは問わない、という訳なのだ。
もちろん、例外はある。それが、今月のテーマ「ガバメント・クラウド・ファンディング」である。
クラウド・ファンディング(Cloud Funding)とは、元来はインターネット等を通じた一般市民への投資呼びかけによる資金調達を意味するものだ。はじめは投資の呼びかけであったのだが、次第に広義の「インターネットを通じたカネ集め」全般に意味が拡大されるようになった。その中で、「官」が寄付を募るものが、今月のテーマ、ガバメント・クラウド・ファンディングなのである。
ガバメント・クラウド・ファンディングは、ただの「ふるさと納税」ではない。政策テーマが明確である。
また、概ね目標期間と金額が公示されていて、達成度がわかるようになっている。返礼品はないことも多いが、寄付者の心の満足が得られる点において、並の「ふるさと納税」より優れている。
以下、残された紙数を使って、いくつかこの稿の筆者が納得した事例を紹介したい。
だれもが納得しそうなテーマはやはり、災害復興だろう。西日本豪雨災害などで傷ついた遍路道を守りたい!(愛媛県、目標100万円)、北海道胆振東部地震で崩壊した野球場を復旧し、子どもたちに野球をする場所と笑顔、日常を届けたい!(北海道日高町、目標500万円)、被災漁村コミュニティを再生!旧保育所を民泊施設にリノベーションし、漁村ならではのもてなしで、訪れた方々との交流を生み出す!(岩手県釜石市、目標300万円)などがある。いずれも「被災地だから復興に金をくれ」ではなく、具体的に何をするかが明確である。春夏連続の甲子園出場を決めた筑陽学園高校を応援したい!(福岡県太宰府市、目標100万円)なんていうストレートなものもある。ふるさと納税で応援するサンガスタジアム整備プロジェクト~あなたのお名前をスタジアムへ刻もう!~(京都府、目標5000万円)は、返礼品も明確であり、行政としてよく設計されている。
さて、筆者一番のお勧めは、ふるさと納税で罪のない動物たちの殺処分を無くす活動を応援して「人と動物の共生する日本」を実現したい!(広島県神吉高原町、岡山県吉備中央町、山口県宇部市など10自治体広域連携プロジェクト、目標6億7百万円)である。何故か、山陽地方の自治体が多いが、いずれも捨て犬、捨て猫、リタイアした競馬馬などを収容する施設等の建設費、運営費にあてられる。このプロジェクトのすごいところは、寄付者が自分の寄付によって、何匹の動物たちの生命を救えたのかがわかることである。これに勝る返礼品がほかにあろうか。
※上記事例は、本誌発刊(2019年9月)時点での募集であり、現在は募集を終了しております。
詳しくは、右のサイトをご覧ください。 https://www.furusato-tax.jp/gcf/?header2020年8月1日
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幽霊波動説
夏なので、というわけでもないが、幽霊の話を一つ。
この稿の筆者は、その昔20年ほど鎌倉に住んでいた。海岸まで歩いてすぐの海辺の小高い丘の上に我が家はあった。その丘は、新田義貞の軍勢が北条政権攻略をめざして鎌倉へなだれ込んだときに本陣を置いたとか言うところで、丘の後ろ側半分は、新田義貞が建立したという浄土宗のK寺と墓であった。我が家は、丘の南側半分、頂上の古びた日本家屋とわずかな庭のほかは、鬱蒼とした松林がそのほとんどを占めていた。この敷地も江戸時代には寺であったという。こちらは、日蓮大聖人がその前の浜からどこかへ船出されたという言い伝えがあり、それを記念して日蓮宗のM寺がこの地に建立され、寺は明治期までここに存在した。その後どういう理由かは知らないが、M寺は海岸からすこし北に行った横須賀線の踏切近くに移転し、移転した跡を筆者の曾祖父がM寺から借りて、海釣りに出るための別荘をそこに建てたという次第である。
ともあれ、ちょっと薄気味の悪い気配が漂う、古い日本家屋に筆者が移り住んだのは、学生時代最末期の頃で、筆者はすぐに就職して名古屋に転勤したのだが、その後も東京本社の宣伝マン時代、札幌勤務の間を通じて、筆者の本拠はずっとこの家で、住民税も鎌倉市に払っていた。
さて、筆者は常の人間であるから、そこはかとなく、薄気味の悪い気配を感じたりはしたものの、さほど目の前に幽霊が出現すると言うこともなく、気配の方も筆者がなにも(幽霊退治のごとき)悪さをしないことに安心したのか、お互い知らぬふりをしながら屋敷内で共存することは出来た。だが、この世には、そうした気配に超敏感な巫女体質の女性がいるもので、筆者の友人では二名、一人は取引先の美術商のお嬢さんと、もう一人は筆者の仲間の女優さんが、いずれも我が家に来られたときに、ある部屋の前で立ちすくんでしまい、「いるわ」と言って中に入れないということが起きた。
後に、その古い家屋を解体して親戚がマンションを開発しようという話になり、その計画が進む中で、気配はますます濃厚になり、毎夜心配そうに筆者のことをのぞき込むようになった。仕方なく筆者は、「大丈夫。君たちの居場所もちゃんと確保するから」と、気配をなだめたものである。
さて、これらを通じて、筆者はある仮説を立てた。その気配なりは、いわば念の波のようなモノではないか、と。発信元は当家の屋敷内で、そう遠くには飛ばない微弱な波である。が、発信元で寝起きしている筆者にはなんとなく感じることが出来るし、鋭敏な受信機をもつ巫女体質の女性たちは、たちどころに感じ取ってしまう。さらに言えば、幽霊が、恨む相手のところに立ち現れるというのは、もともと恨み恨まれる事件がかつてあったことを通じて、念の波長が完全に合ってしまったために、お互いだけの波長が共有され、この場合は、波の発信元から受信機側がかなり離れていても、「出て」しまうという訳なのであろう。よく、幽霊が坊さんのお経で成仏したりするのは、いわば波長と逆位相の波を宛て返すことによって、元の波がゼロ値になるからではないだろうか。
筆者の屋敷のマンション開発計画は進み、工事中にはM寺移転の時に掘り残された古い人骨が何体か松の根に絡んで発掘されたりもした。筆者は彫刻家の友人にオブジェを彫ってもらい、マンションのエントランスホールに芸術品として据えた。「彼らの居場所」の意味もあるとは誰にも言っていないが、その後「出た」という話も、気配を感じる者も誰もいないことは確かだ。彫刻家氏は、慰霊、鎮魂の彫刻は得意だと言っていたから、きっと上手に逆位相の術を使ってくれたのだろう。
2020年7月1日