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今月の言葉

2016年12月1日

タンゴ その1

この稿の筆者が、大学時代放送のクラブに属していたことは以前書いた。

 そのクラブは、百数十人も部員がいる、いわゆる「文連大手」のクラブで、六大学野球のアナウンスやら、学園祭のPA(バンドなどの音声調整、ミキシング)、卒業レコードの制作などでしっかりビジネスをしていて、世間のちょっとしたプロダクションみたいな感じであった。そのビジネスの一環で、学内のバンドに司会者を派遣するという業務があった。

 クラブのアナウンス部門に所属する男女の部員を、軽音楽だとか、ハワイアン、ジャズ、タンゴなどのバンドに「出向」させるのである。それらのバンドの司会者は、代々放送のクラブの部員がつとめることになっていて、出向者は四年生になると、適当な後輩をみつくろって後継者として育てるのである。数あるバンドの中で、筆者が何故タンゴの司会者に選ばれたのかは、よくわからない。まあ、ライトミュージックとかモダンジャズの素養には欠けていたから、バンドの中でも比較的「堅そうな」イメージのあるタンゴが良さそうだと言うことになったのかもしれない。その時筆者は、全くタンゴなんていう音楽は知らなかったのだが、「来週から本番だから」とかいわれ、先輩がつくった手書きの曲名紹介のノートと音楽之友社刊「タンゴ入門」とか言う本を渡されて、慌ててそれから勉強することになった。

 タンゴが生まれたのは、概ね明治維新の頃。筆者が学生であった1970年代でも約百年しか過ぎていない。南米のインディオの音楽と西洋音楽がほどよく混交して出来た、まあブエノスアイレスの港の酒場から生まれた演歌のような音楽である。あまり上品な音楽ではない。バンドネオンというアコーディオンの鍵盤がなくて両サイドがボタンになっている楽器が特徴で、バイオリンやピアノが奏でる甘いメロディーに、このバンドネオンがチャッチャという刻みのリズムを入れていくのである。歌の内容は、殆ど、女に振られた男の未練を歌うもので、本場では、これにほとんどセックスを様式化したと言えるような妖艶な踊りがつくことになっている。

 筆者が、タンゴバンドに出向して司会者を務め始めた時代は、いわゆるパーティー券を売るダンスパーティーの最後の時代であった。体育会などの学生のクラブが、部費稼ぎに、同じく学生のバンドを雇ってきて、ダンスパーティーを催すのである。食べ物や飲み物は現代の政治家のパーティー並みにプアであったが、音楽だけはすばらしかった。

 当時は、合コンというものはまだない(筆者が大学を卒業する頃、いわゆる合コンが始まった)ので、このダンパが男女の出会いの場を提供したのである。はじめはワルツ、そのうちタンゴなど踊るのに難しい曲が流れ、最後に明かりが暗くなってスローなテンポの曲が流れて、一同チークダンスという場面になる。筆者も、名前を知らない女子学生とぴったりくっついて、ダンパのチークタイムを過ごしたことが何度かある。

 タンゴバンドはダンスパーティーの花であった。一年に何回もダンパをこなせば、貧乏な学生の遊ぶ金くらいは稼ぐことが出来た。やがて、ゴーゴーそしてディスコティックの時代が来て、この難しい音楽で踊ろうという学生の数は次第に減っていった。
                                     
                                     ~この項続く~