先月では、東京六大学野球とこの稿の筆者との出会い、そして比較的ローカル試合である慶應-法政戦の風景などを書いたので、今月は東京六大学野球の中でももっとも華やかで、お祭りの要素の強い慶早戦(筆者は慶應義塾出身なのであえて早慶戦とは言わない)の風景について述べることにしよう。
慶早戦は、必ず東京六大学野球の最終節に、(一日中に第一試合と第二試合が行われるのではなく)、かならず慶応対早稲田一試合だけの日程で行われる。そのほかにも、慶早戦特有の決め事があって、通常は先攻の大学が三塁側、翌日は先攻が入れ替わって、ベンチも一塁側と三塁側を入れ替えるのだが、慶早戦に限っては先攻、後攻に限らず慶応が三塁側、早稲田が一塁側と決まっている。これには歴史的な経緯があって、1933年10月22日当時三塁側応援席にいた早稲田側から食いかけのリンゴを投げられた慶應水原三塁手が、そのリンゴを早稲田側に投げ返したことから一大乱闘事件が起きたことにちなんで、両校手打ちの際に、爾後応援席は慶應三塁側、早稲田一塁側と取り決めたのだとのこと。(これを「水原リンゴ事件」という)
さて、最近はどうか知らないが、この稿の筆者の学生時代には、慶早戦と言えば学生応援席に入場して応援歌を歌いたい学生たちが徹夜で並んで待っていたりしたものだ。そしていよいよ球場に入ると13時頃の試合開始までずいぶん長い時間を待つことになる。はじめの間は応援歌の練習や、マーチングバンドが応援歌ではないしゃれたポピュラーミュージックを演奏したりして時間を過ごすのだが、正午になるといよいよ慶早戦特有の儀式が始まる。まず内外野の両校応援団が全員起立して、「早慶讃歌花の早慶戦」を合唱する。その後先攻校のファンファーレが鳴ると応援席最上段に巨大な塾旗、または校旗が揚がる。そして慶應であれば「慶応讃歌」早稲田であれば「早稲田の栄光」の荘重な演奏とともに、旗は静々と応援席最前列まで行進するのである。途中「本日の旗手を務めますのは、○○高等学校出身○学部○年○○○○でございます」などの紹介があり、歓声とともに色とりどりのテープが旗に向かって飛ぶ。その後やっと塾歌、校歌の斉唱と両校エールの交換(なにせ慶應の塾歌なんぞは三番まで歌うと十五分はかかる)があって、ようやく野球試合開始となるのである。試合中も「若き血」や「紺碧の空」ばかりではなく、各回の攻撃開始時に歌う応援歌が大体決まっていた。特に7回には、また全員起立しての合唱とエールの交換がある。(六大学野球でこの7回のエールのときに校歌を歌わないのは、そもそも校歌がない東大の「ただ一つ」、塾歌が長すぎる慶應の「若き血」だけである)さて、試合が終わるとほぼ試合開始時の要領の通りまたエールの交換があり、さらに両校とも慶早戦に勝ったときに歌う特別の歌(慶應は「丘の上」、早稲田は「光る青雲」の四番?)を歌ったりする。
すっかり野球の話ではなく、応援の話になってしまったが、これが伝統ある慶早戦のかわらぬ様式である。
今月の言葉
2025年10月31日
東京六大学野球(続)
