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今月の言葉

2020年3月1日

時流

時流に迎合しない、という人は尊敬される。

 世の中の若者が、みんな長髪だったときにビシッとスポーツ刈りで通した、なんていうのはご愛敬だが、我が日本では、しばらく昔に巨大な「まちがった時流」を経験している。

 言うまでもなく、それは第二次世界大戦に向かう軍国日本の時流である。

 世界史の流れの読みとしては、英米仏を中心とする先進資本主義諸国が世界を支配する時代が終わりを告げ、第一次世界大戦の敗戦から不屈の復興を遂げた新興ナチス・ドイツと、アジアの一角で近代化を成し遂げ、強国にのし上がった日本とが手を携えて新しい世界を「取り仕切る」ような時代が来た、という流れである。

 国内政治についても、大正デモクラシーに象徴されるような、欧米風の自由主義、民主主義の風潮は「新しい時代に合わない」とされて、軍人風の全体主義がよしとされ、「総力戦遂行」の名の下に、経済統制、思想言論の統制を行うことが、「大東亜の盟主」「新世界のリーダー」である日本にふさわしいとされた。

 こうした時流への迎合は、当時日本の哲学の中心地、知性の源泉の一つといえる京都学派にも及んだ。中央公論社が主催し、1941(昭和16)年から1943(昭和18)年の間に三回にわたって行われた、高坂正顕、西谷啓治、高山岩男、鈴木成高らによる座談会の記録「世界史的立場と日本」は、当時最高の知性が、いかに日本の世界史的な立場を意義づけるかという議論にコミットして、後に出陣しいく学徒らに強い思想的影響を及ぼした。彼ら京都学派の(全部ではないかもしれないが主要な)人々に比べ、この激しい「時流」に沈黙し、軍と思想統制への心中の抵抗を隠して、日々を送ったインテリもいるにはいたが、その数は誠に少ないものであった。

 第二次世界大戦中に時流に迎合せずに沈黙を守った人々は、戦後、再評価され尊敬されるようになったが、この稿の筆者はそのことを書こうというのではない。第二次世界大戦のはじめ、ドイツや日本が優勢であった時代に、何が「乗ってはいけない時流」であり、何が「ほんとうの歴史の流れ」であったのだろうか、ということを書きたい。

 結論を急げば、戦争、軍事、政治といった歴史の表層の動きとは別に、「あんな豊かな国々に戦争を挑んで新興国側が勝てるわけはない」とか、「植民地を基礎としたブロック経済ではこれからの世界はやっていけない」といった科学技術や経済に基づいた、冷静なものの見方をした者が結局は正しかったということを言いたいのだ。サーベルをガチャつかせる軍人への嫌悪感とか、神がかりの皇室崇拝への違和感とかいう、単なるフィーリングで「この時流について行けない」と直感し、沈黙した人はエライには違いないが、そのような時流への抵抗は、言ってみれば、長髪かスポーツ刈りかという好悪の問題とあまり変わらないように思える。

 さて、今日インターネットの普及、IoTやAIの導入と言った、生活に身近な技術革新に裏打ちされた、(第二次世界大戦と比べても)もっと大きな「時流の変化」が起きつつある。この時流の中で、何がほんとうの歴史の流れかを冷静に読み取り、これからの私たちの生活をどのように紡いで行くかを考える知性を我々は持たなければならない。さらにいえば、時流を読んで単にそれに乗るのではなく、その先の流れを指し示す勇気と、深い考えを持つリーダーが出ることを期待したいのだが。