お役立ち情報
COLUMN
クラブATO会報誌でおなじみの読み物
「今月の言葉」が満を持してホームページに登場!
日本語の美しさや、漢字の奥深い意味に驚いたり、
その時々の時勢を分析していたりと、
中々興味深くお読み頂けることと思います。
絞り込み:
-
寄付
本誌は、税理士法人の機関誌。その中で、本欄と隣の欄は税金のお話を離れて一服するのが役割になっている。が、今月は、かなりの程度に税金に近い話をとりあげてみたい。
それは、寄付ということについてである。我が国の所得税法が、寄付金控除の対象とするのは、概ね「教育又は科学の振興、文化の向上、社会福祉への貢献その他公益の増進に寄与するための」(ほかに震災義捐金などもある)のもので、寄付先は、政府やら地方自治体やら独立行政法人といったオカミ族を別にすれば、特定公益増進法人、私立学校、社会福祉法人、NPOの一部などに限られている。
読者は、「こうした相手に寄付をすると、所得税を負けてくれる」とお考えかもしれない。
確かに考えようでは、「寄付をすれば税金が安くなる」と言えないことはない。すなわち寄付した金額の内一定の分(控除するのは合計所得金額の40%以内とか、2000円までは控除しないとか細かい規則はあるのだが)は、要するところ所得税の対象とならない(その年の貴方の所得金額から控除される)。税金を取る側から見れば「負けている」のである。
だが、「控除」というのが曲者である。税金が安くなるとは言っても、それは「何もしなければ払ったはずの所得税より安くなる」と言うだけの話で、「寄付した金額+支払う所得税」は我が国の税制では必ず「何もしなければ払ったはずの所得税」より高くつくことになっている。このことはどういう発想から来ているかというと、要するに「オカミが税金を用いて行う事業の方が、民間のボランティアが行う公益的な事業よりもより価値が高い」という考えから来ているのだ。
本欄の筆者が提案したいのは、上記のようなオカミ優位の考え方をやめて、国民一人ひとりが、「自分が最も公益的と思う事業」を選んで、自分の選んだ公益事業に一定比率の所得税を寄付できるようにしたらどうだろうか、というものだ。
国防が大事と思う人は、兵器の購入に自分の払うべき所得税の5%を、東北の復興が大切と思う人は沿岸部の住宅移転に5%を、科学技術の振興が必要と思う人はスーパーコンピュータの開発に5%を、原発反対の人は代替エネルギーに5%を、と、自由に政策を選べるようにしたらよいと思うのだ。
もちろん寄付と言っても、自分の私的利益への我田引水はいけないから、公益的事業のメニューはある程度予め決めておかなければいけないとは思う。が、国家、地方自治体の事業ばかりでなく、ボランティアが行う民間の事業もメニューには当然加えることにする。
そうすることによって、たとえば、「景気が良くなってほしい」からと言って「道路や橋を造る」のがよいのか「技術開発への投資」がよいか、「福祉のための税金還元」がよいかを我々は自分の頭で考えなければならなくなる。ぶつくさ文句を言いながらも、結局オカミの言いなりなるのではない、ほんとうの国民主権への第一歩として提案したいのである。
役人や政治家が、勝手に国家予算を按分するのではなく、ある程度国民が直接「自分が払う税金を何に使うべきか」を選択できるような制度があってもよいのではないかと思う。2013年11月1日
-
羽化登仙 酔生夢死
いずれも、酔っぱらいをあらわす四字熟語である。「羽化登仙」とは、酒を飲んで良い気持ちになること。酔っぱらった結果、自分に羽が生えて天に昇り、仙人の境地に遊ぶ気分になることを言う。宋の詩人、蘇東坡こと蘇軾の有名な作品、「前赤壁の賦」の冒頭に出てくる言葉である。
壬戌之秋、七月既望、蘇子與客泛舟、遊於赤壁之下。清風徐来、水波不興。挙酒蜀客、誦明月之詩、歌窈窕之章。少焉月出於東山之上、徘徊於斗牛之間。白露横江、水光接天。縦一葦之所如、凌萬頃之茫然。浩浩乎如馮虚御風、而不知其所止、飄飄乎如遺世独立、羽化而登仙。於是飲酒楽甚。扣舷而歌之。歌曰、桂櫂兮蘭漿。撃空明兮泝流光。渺渺兮予懐、望美人兮天一方。
「羽化登仙」の前後だけ読み下す。
浩浩乎トシテ虚ニ馮リ風ニ御シテ、其ノ止マル所ヲ知ラズ。飄飄乎トシテ世ヲ遺レ独立シ、羽化シテ登仙スルガ如シ。是ニ於テ酒ヲ飲ミテ楽シムコト甚シ。舷ヲ扣イテ之ヲ歌ウ。
広々とした長江に舟を浮かべて遊んだ蘇東城は、舟上客と酒を酌み、ふわふわと幽体離脱したような気分になっている。だんだん酒がまわって、大いに良い気分になって、舟縁を叩いて拍子を取って歌をうたったということらしい。宋の元豊5年(西暦1082年)の秋7刀16日の夜のことである。中国の詩人の例に漏れず、蘇軾は、宋の役人である。この時代の宋は、王安石の新法改革というので政治は大混乱。蘇軾は旧法派で、お定まりの左遷を喰らって、地方をドサ周りしながら、今に残る詩の数々を創作した。
「酔生夢死」は、全く同時代の宋の思想家程頤(ていい)の『明道先生行状記』の中にある言葉。
雖高才明智、膠於見聞、酔生夢死、不自覚也
高才明智ト雖モ 見聞ニ膠スルハ 酔生夢死シテ 自ラ覚ラザル也
「見聞ニ膠スル」の膠と言う字は、「こう」と読む。「にかわ」のことで、膠がくっつくようにこだわるという意味である。「才能が高く、智の明らかな人であっても、自分の見聞にこだわる(ような者)は、一生を酔っぱらいのまま過ごして、夢を見ている内に死ぬようなもので、自ら(真理を)覚らないまことにつまらない生き方である」と程頤先生は言われている。この時代の宋は、まもなく朱子学や陽明学がでてきて、儒教の「哲学化」が起きようとする時期。程頤先生は、朱子学の祖、朱熹に大きな影響を与えた先覚者である。程頤と蘇軾は、面識があったようだ。Wikipediaによれば、宋の皇帝哲宗の侍講に就任した程頤は、「性格が謹厳に過ぎその非妥協的な言動が同僚との軋轢を生じ、特に蘇東坡やその門下生と争い、まもなく朝廷を追われた。」とされている。
それはともかく、「酔生夢死」とは、そんなにつまらないことであろうか。この稿の筆者は、この言葉が大好きで、書き初めなどの際は、選んでこの四字熟語を書く程である。「一生を酔っぱらいのまま過ごして、夢を見ている内に死ぬ」なんて、こんなに素晴らしい人生はないと思うのだが。
筆者としては謹厳実直の程頤先生より、酔っぱらい詩人の蘇軾の方に軍配を揚げたい。2013年10月1日
-
冥土
あの世の話である。
民族、宗教によって、あの世の捉え方は様々に異なる。 我が国の神話では、あの世は黄泉の国、あるいは常世の国とも言う。黄泉の国は、黄泉比良坂(よもつひらさか)を通じてこの世とつながっている。イザナギが死んだ妻イザナミを追いかけて冥土に行き、変わり果てた姿に驚いてこの世に戻ってきた時には黄泉比良坂を駆け下りてきたことを示唆する記述がある由なので、通常考えられているように黄泉の国は地下にあるのではなく、雲の上にあるのかもしれない。が、いずれにしても、黄泉の国はひんやりとして暗いところだというイメージがある。この、暗くてひんやりというイメージは、ギリシア神話のプルートーが支配する冥府なども同様である。なお、これら神話の冥府は、勧善懲悪の倫理とは関係がない。すなわち生前悪事を為した者は、死後より酷い来世が待っていることを示すものではない。が、これが宗教となると、はっきり現世の行いの善悪が、来世に影響を与える。
もっとも、よく知られているのは、キリスト教の「最後の審判」で、この世に終わりがくるとき、すべての死者は再度全能の神の前に生まれ出でて、この世で為した行いについて審判を受けるのである。
審判の結果によっては、永遠の生命を与えられたり、地獄に落とされたりもする。
イスラム教もほぼ同断であり、アラーはこの世に終わりがくるとき、天使イスラフィールに命じてスール(喇叭のようなものらしい)を吹き鳴らさせる。で、そのスールの音と共に、アラーに望まれないものは消えてしまい、望まれた者だけが来世アーヒラの生命を得るのだという。
あの世について、もっとも複雑なことを説くのは、仏教である。仏教も宗派によって、あの世の捉え方は違うが、基本的なコンセプト天上道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道は、皆この世にある世界であって、生きとし生けるものは皆、この世の行いによって死後六道のいずれかに生まれ変わる、すなわち転生するのである。転生した者は、過去の生命の記憶を持たないのであるから、どうして転生したと証明できるのか、疑問があるところだが、ともかく前世の因果が、この世に応報するということになっており、さらに現世の因果は来世に応報するのである。もし今の世を生きていて「自分はなぜこんな運命なのか」あるいは「なぜこんなに幸せなのか」とか思うとすれば、それは皆前世の行いの応報なのである。
そうやって、死んでは転生する輪廻を繰り返す生命の営みに「やりきれない」「やってられない」と思われる向きもあるだろう。輪廻そのものを苦悩ととらえ、その輪廻から脱出しようとする試みを解脱という。解脱したらどうなるか、は、あまり詳しくはわからない。が、どうも「涅槃寂静(ねはんじゃくしょう)の境地」に入って、ずっと落ち着いた心でいられるというのが、悟りであり解脱であるらしい。
「大般涅槃経」では、煩悩の炎を消して無我無常の境地に入ることが、悟りであるという。 キリスト教の天国は「酒はうまいしネエチャンは綺麗」なのかどうかは知らないが、まあ現世の善行の代償に煩悩が満たされる世界のようだ。が、仏教のそれはむしろ、まあ芸能人が引退して有為転変のドラマから脱出し、普通のくらしに戻るイメージに近いかもしれない。2013年9月1日
-
にらむ
歌舞伎十八番の内、「暫」は成田屋、市川団十郎のお家芸である。 「暫」は、多くの歌舞伎作品がそうであるように、劇の筋はナンセンスなのだが、場面の様式化によって十八番に数えられた作品である。
無辜の弱者が、悪者に捉えられ、あわや打ち首にというところで花道から「暫く~」との声がかかって、主役が出てきて大立ち回りを演じて悪者をやっつけるという、それだけのお芝居。主人公「暫」は、一応、鎌倉権五郎景政という実在した人物ということになっているが、霊力を持つ前髪立ちの少年であり、まあ人間離れしたスーパーヒーローとして描かれている。そのスーパーヒーローが、どのように霊力を発揮するかというと「にらむ」のである。(アニメであれば、アイパワー光線か何かが出て怨敵退散になるところだろう)
よって、「にらみ」自体が成田屋相伝の芸となり、団十郎襲名の口上などの時には、「吉例により、にらんでご覧に入れまするう~」とかいってこの芸を単独で披露する。
昔は、団十郎の楽屋に贔屓筋が押し掛け、魔除けのために「暫」の隈取りをした団十郎ににらんでもらったこともあったそうだ。役者の楽屋で「おにらみサービス」をして、神社のおはらいの代わりをしていたようなものだ。
睨め付ける、すなわちにらみつけるとは、相手を威圧すること。眼の奧に強い意志が宿るために、相手に威圧感を感じさせるのであろう。この意志の力によって、人間界だけではなく、魑魅魍魎をもやっつけるパワーがあると考えられた故に、昔の人は「にらみ」の霊力を信じたのであろう。いわゆる目力というやつである。
にらむという行為は、巷間「ガンを飛ばす」ともいう。この稿の筆者は、比較的おとなしい私立高校を出て、受験して大学に入った初日に、その大学の付属高校から来たクラスメート達が、「おい、さっき○○高のやつがガンを飛ばしやがったから、授業が終わったら殴りに行こうぜ」などと言い合っているのを聞いて、飛び上がって驚いた経験がある。
そもそも「ガンを飛ばす」というのはどのようにしてやるのだろうか。眼を細め、瞳孔を縮め、相手の方をキッと睨みつけるのであろうか。でも、偶然眼が合っただけでも「おい、手前、ガンをつけたな」とからまれることもあるって言うし・・いやこれはガンをつけるのではなしに、言いがかりをつけるというのだろうか。などと大学新入生だった筆者は、心の中で煩悶していたのである。
さて、ガンを飛ばすような場合、瞳はどちらかというと縮んでいるのだが、逆に瞳孔を開いて、相手をぼんやり見つめるような場合がある。これを女性にやられると、男はすっかり参ってしまって、相手が自分に気があると思い込んで猛然アタックする気になったりする。それと近い話で、筆者の知り合いにかなり近眼の女性がいて、本人には特別な気持ちがなくても、相手をすぐに見つめてしまう。この女性は、なかなか美人だったこともあり、男性に大人気、モテモテであった。 どうせ目力を発揮するのなら、にらむ霊力よりも、見つめる霊力の方がうれしい。2013年8月1日
-
かみなり
ベンジャミン・フランクリンは西暦1706年1月、イギリスの植民地であったアメリカ・マサチューセツのボストンに生まれた。アメリカ独立宣言の起草者の一人。独立戦争時には、合衆国の駐フランス大使となり、ヨーロッパにおけるアメリカ独立支持の世論形成に大きく寄与した。ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソンなどと並んでアメリカ建国の父として、いまでも米国民から尊敬されている。現在の米合衆国$100紙幣には、フランクリンの肖像が描かれているから、まあ日本で言えば福沢諭吉と同格の人と思えばよいかもしれない。
フランクリンは、政治家、外交官としてだけではなく科学者としても大きな業績を残した。1752年嵐の中で、凧を揚げ、雷雲から電気を取り出して見せた実験で世に知られている。ただしこの実験はきわめて危険なもので、後にロシア人リヒマンがフランクリンの実験を追試しようとして感電死亡したので、その後は「真似してはいけない実験」とされている。ともあれ、フランクリンのこの実験によって、雷が電気であることが解明された。雲の中にたくわえられた電気が地上の尖った高いものに放たれる放電作用が「落雷」である。フランクリンは建物や人間への落雷を避け、雷の放電をアースして逃がす避雷針の発明者でもある。
雷のメカニズムが解明されるまで、人類は雷を「神鳴り」として恐れてきた。落雷の轟音、稲妻の閃光、高圧の放電によって木や人が一瞬で黒焦げになってしまい、火事も起きる。まことに「かみなり」は天の怒りが地に下る様と思われたのである。ギリシア神話における雷神はゼウスという最高神であるし、北欧神話の雷神トールも最強のつわものである。我が国の神話における雷神はタケミカヅチ(建御雷)と言って茨城県は鹿島神宮の祭神。藤原氏の始祖中臣氏の祭神でありトールと同じく武神、軍神としても崇められている。
雷を大和言葉で読むと、「かみなり」「いかづち」である。かみなりは「神鳴り」で神様の発する音のこと。いかづちは怒りの槌ではなく「厳(いか)つ霊(ち)」が語源である。
電は大和言葉では「いなづま」。現在は稲妻と書くが、語源は「稲の夫」である、稲の実る時期に雷が多いことから、雷光が稲を実らせるという民間信仰があったのだという。
戦前の帝国海軍では、特型駆逐艦「吹雪」シリーズの23番艦が「雷」、24番艦が「電」。その名を継承して、海上自衛隊の護衛艦にも「いかづち」「いなづま」がある。
最後に、「地震、雷、火事、おやじ」についてふれたい。この中で、前三者は天災、最後は人災(?)でなんだかヘンに思われるかもしれない。が、ここでいう「おやじ」とは親父ではなく大山風(おおやまじ)即ち台風のことだそうである。この四大天災の末尾が親父と混同されたところから、「雷親父」という言葉が生まれた。昔の日本には「バッカモン」と理不尽な雷を落とすサザエさんの磯野波平みたいなオトウサンがいたものだが、現代の親父は奥方の前ですっかり萎縮してしまった。フランクリンが、雷のメカニズムを科学的に解明して、神鳴り様の有り難みが薄れたためだろうか。2013年7月26日
-
お+動詞
さる金融機関のコマーシャルである。
「通帳のお取り替えがまだお済みでないお客様は・・・」
お、なかなか上手に丁寧語をつかっているな。正しい日本語だと思う。
ところがフィニッシュで「至急ご来店の上お取り替えしてください。」
あ、やっちゃった!と、思う。
「お取り替えしてください」は正しい日本語ではない。 では、正解は何か。「お取り替えください」または「お取り替えになってください」である。だが、こんな場合もある。書店の店頭でお客が、買ったばかりの本を持ってきて「この本は少し汚れている」と言ったとする。
書店の店員であるあなたは、「それは申し訳ありませんでした、お取り替えいたしましょう」という。これは正解である。左を少しだけ略して「お取り替えしましょう」でも、間違った日本語とまでは言えない。だが、お客様に「お取り替えしてください」と言うのは大間違いである。よく考えてみると、自分の行為に「お」をつけるのが正解で、相手の行為に「お」をつけるのは間違いだというのは何となく変な気もする。だが、「お○○する」は、謙譲語であって、尊敬語ではない。
「大皿からおかずをお取りしましょう」は○
「大皿からおかずをお取りしてください」は×
ところで筆者は、いま、マイクロソフトのワードというソフトウェアでこの稿を書いているのだが、このソフトウェアはなかなか利口者で、「おかずをお取りしてください」と入力すると、ちゃんと警告が出てしかも何処が間違っているかを説明してくれる。
ワード君に言わせると「お取りしてください」は「尊敬語と謙譲語を混同している」故に間違いなのだ。では、経験則ではなく、「お」のつく言葉を使うこつはなにか。
法則を敢えて見つけようとすると、「お+動名詞+になるorいたす」が正解である。
冒頭掲げた「通帳のお取り替えがまだお済みでないお客様は・・・」の「お取り替え」「お済み」はいずれも体言的に用いられる。こつはこの体言的と言う所にある。
「同意する」は「ご同意になる」、「協力する」は「ご協力いただく」、「研究する」は「ご研究になる」。これ皆動詞を体言として用いる丁寧な言い方である。尊敬語の類に入る。
それでは、応用問題。
「やいやい、手前が肩をおいらの顔にぶっつけたんじゃあねえか!一言ぐらい詫びたって罰は当たるめえ」をできるだけ丁寧な日本語で言いなさい。(ちなみにこの稿の筆者は、修羅場と言える場面では徹底的に丁寧語作戦にでて相手を怯ませるのを戦術としている)
正解は以下の通り。「そちら様が、ご自分のお肩を私の顔におふれになられたのではございませんか。一言ぐらいお詫びいただいても罰はあたらないのではと思うのでございますが」って、やっぱり正しい日本語も丁寧すぎるとちょっと気持ちが悪いかな。2013年6月1日
-
西郷贔屓
小沢一郎裁判は、この稿が発刊される頃にはすでに判決が出ているかもしれない。
裁判の結果小沢氏が、有罪になるのか無罪なのかはここでは問わない。が、この裁判の中で小沢一郎の罪を問おうとする側が声高く主張している内容に、違和感をもつ点がある。この裁判は、要するに彼の秘書が行った4億円だかの土地の売買に、彼本人が関与したかどうかということを争うものであった。秘書は「報告はした」という(この証言の信憑性も争点だが)。小沢氏は「聞いたのかもしれないが、よく覚えていないし、指示もしていない」という。検察官役の弁護士は、「そんな多額の自分の財産を処分するのに、下の者に任せきりにするわけはない。きっと指示したはずだ。」と追求する。予断としては、「下僚に罪をなすりつけて、自分は逃げようとしているのではないか、それは許さない」と言いたいのだろう。だが・・何となくの話として、こういう地位も高く忙しい人が、4億円程度の土地取引について「下の者に任せきり」で「ふんふん、あ、そう」という態度をとることが「一般人の常識ではあり得ない」程のことなのだろうか、と思うのである。
日本的風土の中では、部下に細かい指示をする上司はむしろ避けられるのではないか。
そこで、話は急に飛んで、日本人の西郷贔屓ということを考えてみたい。
西郷隆盛は、薩摩出身。明治維新の英雄である。が、明治維新の十年後、西南戦争を起こして新政府と武力で争い、征伐されて命を落とした。明治時代には「反逆者」とされて長く名誉回復されなかった。その「西郷さん」が「反逆者」であるのに、多くの日本人から愛されたのは、西郷さんの態度がまさに「下の者に任せきり」「責任だけは自分でとる」というように見えたからなのだろう。
西郷は、政府内の論争に破れ、鹿児島に帰って、「私学校」というものをつくり、郷里の若者たちの教育にあたった。その若者たちが、暴発して明治政府の武器庫を襲ったのを知ったとき西郷は薩摩弁で思わず「しもうた」(しまった!)と叫んだという。だが、すぐに「この命はおはんら(私学校の若者たち)にくれもそう」と言って、反乱軍の将に担がれることを受け容れたという。日本人は、本能的に「上に立つ人は、西郷のような人であってほしい」と願っているところがある。逆に、切れ者でも、自ら事を企画し、細かい指示を出して部下を使うようなタイプの上司(たとえば西郷の親友でありライバルでもあった大久保利通?)はあまり好まれない。史実の西郷は、とくに若い頃は細かいことに良く気がつく良吏であったらしいが、人の上に立つに及んで、日本人の性向にあわせて、「担がれる上司」を演じるようになったのではないだろうか。 話は、小沢裁判に戻る。小沢一郎氏が有罪になれば政治的に失脚し、無罪なら復権するだろうというのは早計である。日本人が期待するのは、横文字のaccountabilityとかcomplianceとかが似合う上司像ではない。だが、「秘書がやった不始末も全部自分で背負って責任をとる」上司なのだ。だから、裁判の帰趨にかかわらず、小沢氏が人気を回復するのは、なかなか難しいのではないだろうか。2013年5月1日
-
風土記
時は、奈良時代の初め。西暦707年から715年まで(年号で言うと慶雲とか和銅あたり)在位された元明天皇という女性の天皇がおられた。その元明天皇が常陸の国司に詔(みことのり)して言われるには、「古老(ふるきおきな)の相伝える旧聞(ふること)を申す事」を集めて上申しなさい。つまり土地の古老に昔の出来事などを話させて、それを編集せよと言う命令を出された。命令が出たのは、常陸の国だけではなく、おそらく全国の国司達に命令が下されたと推察される。その命令に答えて各地方で編纂されたのが風土記である。風土記の多くが歴史の中で散逸してしまったが、現在出雲、常陸など五カ国の風土記がほぼ完本で残っている。たとえば、この中から、出雲国意宇郡の条を覗いてみると、構成は「郷里、駅家、神戸、寺院、神社、地名、通道」などとなっていて、当時の人々の「つながり」が宗教と交通によっていたことが分かる。また地名については、山野、河川、池、浜、島の名前の由来などが扱われている。
器量
風土記には、その土地に伝承される神話、民話なども収録されている。まだ文字の普及が民間に深く及ばなかった当時、古老の口碑こそが神の話を世に伝える手段であったのだろう。古事記(元明天皇の最晩年にあたる西暦712年に献上された)や日本書紀(西暦720年成立とされる)も、おそらく当時の朝廷に都合良くモディファイはされただろうが、編集時に創作されたと言うよりも、こうした古老の口碑を集めて、取捨選択したものなのであろう。風土記に集められた旧聞(ふること)を原典(ソース)として、古事記や日本書紀が成立したのかも知れない。
歴史が遷ると、社会が何によって成り立ち、つながっているのかもかわってくる。中世、近世と日本の歴史が進むにつれて、神仏だけではなく「俗」の部分、商売、農事、旅などが地誌に登場するようになる。江戸時代まで、こうした地誌を「風土記」と名付ける習慣は続いた。たとえば文政13年(1829年)頃成立した「新編武蔵風土記稿」は、当時の幕府の内命にもとづいて、自然、歴史、農地、産品、神社、寺院、名所、旧跡、人物、旧家、習俗など、およそ土地・地域についての諸々の事柄を網羅している。
近代になると、帝国陸軍参謀本部は、「兵要地誌」というものを編集した。
兵要地誌は、軍隊が出かけていく先の土地のガイドブックで、鉄道や道路の情報はもちろん、天候気象、人情風俗から、病気、食べものに至るまでの情報を揃えた。これも風土記の一種である。
さて今日、多くの読者が、小学生時代、バスに乗ってどこかの工場とか、浄水場とかの施設に「社会科見学」に行かれた経験をお持ちだろう。「聞くと見るとは大違い」と言って、まずは子供達に書物の中で社会を教えるのではなく、実物を見せるというのが、社会科見学の狙いである。
だが、狙いはそれだけではない。工場に行ったら、製品の原料はどこから来るのか、工員さんはどこに住んでいるのか、毎日何時間働くのか、ものを作るのにどんな機械を使っているのか、電気をどれだけ使うのか等々、ひとつの施設が動いて行くための「つながり」が社会であることを学ぶのである。地理とか地誌というのは、その土地その土地に暮らす人々や産物、営みがどのように「つながって」成り立っているのかを示すものである。
「社会科見学」の小学生達が見ているものも、現代日本の風土記のエレメントなのである。
2013年4月1日