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COLUMN
クラブATO会報誌でおなじみの読み物
「今月の言葉」が満を持してホームページに登場!
日本語の美しさや、漢字の奥深い意味に驚いたり、
その時々の時勢を分析していたりと、
中々興味深くお読み頂けることと思います。
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お+動詞
さる金融機関のコマーシャルである。
「通帳のお取り替えがまだお済みでないお客様は・・・」
お、なかなか上手に丁寧語をつかっているな。正しい日本語だと思う。
ところがフィニッシュで「至急ご来店の上お取り替えしてください。」
あ、やっちゃった!と、思う。
「お取り替えしてください」は正しい日本語ではない。 では、正解は何か。「お取り替えください」または「お取り替えになってください」である。だが、こんな場合もある。書店の店頭でお客が、買ったばかりの本を持ってきて「この本は少し汚れている」と言ったとする。
書店の店員であるあなたは、「それは申し訳ありませんでした、お取り替えいたしましょう」という。これは正解である。左を少しだけ略して「お取り替えしましょう」でも、間違った日本語とまでは言えない。だが、お客様に「お取り替えしてください」と言うのは大間違いである。よく考えてみると、自分の行為に「お」をつけるのが正解で、相手の行為に「お」をつけるのは間違いだというのは何となく変な気もする。だが、「お○○する」は、謙譲語であって、尊敬語ではない。
「大皿からおかずをお取りしましょう」は○
「大皿からおかずをお取りしてください」は×
ところで筆者は、いま、マイクロソフトのワードというソフトウェアでこの稿を書いているのだが、このソフトウェアはなかなか利口者で、「おかずをお取りしてください」と入力すると、ちゃんと警告が出てしかも何処が間違っているかを説明してくれる。
ワード君に言わせると「お取りしてください」は「尊敬語と謙譲語を混同している」故に間違いなのだ。では、経験則ではなく、「お」のつく言葉を使うこつはなにか。
法則を敢えて見つけようとすると、「お+動名詞+になるorいたす」が正解である。
冒頭掲げた「通帳のお取り替えがまだお済みでないお客様は・・・」の「お取り替え」「お済み」はいずれも体言的に用いられる。こつはこの体言的と言う所にある。
「同意する」は「ご同意になる」、「協力する」は「ご協力いただく」、「研究する」は「ご研究になる」。これ皆動詞を体言として用いる丁寧な言い方である。尊敬語の類に入る。
それでは、応用問題。
「やいやい、手前が肩をおいらの顔にぶっつけたんじゃあねえか!一言ぐらい詫びたって罰は当たるめえ」をできるだけ丁寧な日本語で言いなさい。(ちなみにこの稿の筆者は、修羅場と言える場面では徹底的に丁寧語作戦にでて相手を怯ませるのを戦術としている)
正解は以下の通り。「そちら様が、ご自分のお肩を私の顔におふれになられたのではございませんか。一言ぐらいお詫びいただいても罰はあたらないのではと思うのでございますが」って、やっぱり正しい日本語も丁寧すぎるとちょっと気持ちが悪いかな。2013年6月1日
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西郷贔屓
小沢一郎裁判は、この稿が発刊される頃にはすでに判決が出ているかもしれない。
裁判の結果小沢氏が、有罪になるのか無罪なのかはここでは問わない。が、この裁判の中で小沢一郎の罪を問おうとする側が声高く主張している内容に、違和感をもつ点がある。この裁判は、要するに彼の秘書が行った4億円だかの土地の売買に、彼本人が関与したかどうかということを争うものであった。秘書は「報告はした」という(この証言の信憑性も争点だが)。小沢氏は「聞いたのかもしれないが、よく覚えていないし、指示もしていない」という。検察官役の弁護士は、「そんな多額の自分の財産を処分するのに、下の者に任せきりにするわけはない。きっと指示したはずだ。」と追求する。予断としては、「下僚に罪をなすりつけて、自分は逃げようとしているのではないか、それは許さない」と言いたいのだろう。だが・・何となくの話として、こういう地位も高く忙しい人が、4億円程度の土地取引について「下の者に任せきり」で「ふんふん、あ、そう」という態度をとることが「一般人の常識ではあり得ない」程のことなのだろうか、と思うのである。
日本的風土の中では、部下に細かい指示をする上司はむしろ避けられるのではないか。
そこで、話は急に飛んで、日本人の西郷贔屓ということを考えてみたい。
西郷隆盛は、薩摩出身。明治維新の英雄である。が、明治維新の十年後、西南戦争を起こして新政府と武力で争い、征伐されて命を落とした。明治時代には「反逆者」とされて長く名誉回復されなかった。その「西郷さん」が「反逆者」であるのに、多くの日本人から愛されたのは、西郷さんの態度がまさに「下の者に任せきり」「責任だけは自分でとる」というように見えたからなのだろう。
西郷は、政府内の論争に破れ、鹿児島に帰って、「私学校」というものをつくり、郷里の若者たちの教育にあたった。その若者たちが、暴発して明治政府の武器庫を襲ったのを知ったとき西郷は薩摩弁で思わず「しもうた」(しまった!)と叫んだという。だが、すぐに「この命はおはんら(私学校の若者たち)にくれもそう」と言って、反乱軍の将に担がれることを受け容れたという。日本人は、本能的に「上に立つ人は、西郷のような人であってほしい」と願っているところがある。逆に、切れ者でも、自ら事を企画し、細かい指示を出して部下を使うようなタイプの上司(たとえば西郷の親友でありライバルでもあった大久保利通?)はあまり好まれない。史実の西郷は、とくに若い頃は細かいことに良く気がつく良吏であったらしいが、人の上に立つに及んで、日本人の性向にあわせて、「担がれる上司」を演じるようになったのではないだろうか。 話は、小沢裁判に戻る。小沢一郎氏が有罪になれば政治的に失脚し、無罪なら復権するだろうというのは早計である。日本人が期待するのは、横文字のaccountabilityとかcomplianceとかが似合う上司像ではない。だが、「秘書がやった不始末も全部自分で背負って責任をとる」上司なのだ。だから、裁判の帰趨にかかわらず、小沢氏が人気を回復するのは、なかなか難しいのではないだろうか。2013年5月1日
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風土記
時は、奈良時代の初め。西暦707年から715年まで(年号で言うと慶雲とか和銅あたり)在位された元明天皇という女性の天皇がおられた。その元明天皇が常陸の国司に詔(みことのり)して言われるには、「古老(ふるきおきな)の相伝える旧聞(ふること)を申す事」を集めて上申しなさい。つまり土地の古老に昔の出来事などを話させて、それを編集せよと言う命令を出された。命令が出たのは、常陸の国だけではなく、おそらく全国の国司達に命令が下されたと推察される。その命令に答えて各地方で編纂されたのが風土記である。風土記の多くが歴史の中で散逸してしまったが、現在出雲、常陸など五カ国の風土記がほぼ完本で残っている。たとえば、この中から、出雲国意宇郡の条を覗いてみると、構成は「郷里、駅家、神戸、寺院、神社、地名、通道」などとなっていて、当時の人々の「つながり」が宗教と交通によっていたことが分かる。また地名については、山野、河川、池、浜、島の名前の由来などが扱われている。
器量
風土記には、その土地に伝承される神話、民話なども収録されている。まだ文字の普及が民間に深く及ばなかった当時、古老の口碑こそが神の話を世に伝える手段であったのだろう。古事記(元明天皇の最晩年にあたる西暦712年に献上された)や日本書紀(西暦720年成立とされる)も、おそらく当時の朝廷に都合良くモディファイはされただろうが、編集時に創作されたと言うよりも、こうした古老の口碑を集めて、取捨選択したものなのであろう。風土記に集められた旧聞(ふること)を原典(ソース)として、古事記や日本書紀が成立したのかも知れない。
歴史が遷ると、社会が何によって成り立ち、つながっているのかもかわってくる。中世、近世と日本の歴史が進むにつれて、神仏だけではなく「俗」の部分、商売、農事、旅などが地誌に登場するようになる。江戸時代まで、こうした地誌を「風土記」と名付ける習慣は続いた。たとえば文政13年(1829年)頃成立した「新編武蔵風土記稿」は、当時の幕府の内命にもとづいて、自然、歴史、農地、産品、神社、寺院、名所、旧跡、人物、旧家、習俗など、およそ土地・地域についての諸々の事柄を網羅している。
近代になると、帝国陸軍参謀本部は、「兵要地誌」というものを編集した。
兵要地誌は、軍隊が出かけていく先の土地のガイドブックで、鉄道や道路の情報はもちろん、天候気象、人情風俗から、病気、食べものに至るまでの情報を揃えた。これも風土記の一種である。
さて今日、多くの読者が、小学生時代、バスに乗ってどこかの工場とか、浄水場とかの施設に「社会科見学」に行かれた経験をお持ちだろう。「聞くと見るとは大違い」と言って、まずは子供達に書物の中で社会を教えるのではなく、実物を見せるというのが、社会科見学の狙いである。
だが、狙いはそれだけではない。工場に行ったら、製品の原料はどこから来るのか、工員さんはどこに住んでいるのか、毎日何時間働くのか、ものを作るのにどんな機械を使っているのか、電気をどれだけ使うのか等々、ひとつの施設が動いて行くための「つながり」が社会であることを学ぶのである。地理とか地誌というのは、その土地その土地に暮らす人々や産物、営みがどのように「つながって」成り立っているのかを示すものである。
「社会科見学」の小学生達が見ているものも、現代日本の風土記のエレメントなのである。
2013年4月1日