お役立ち情報
COLUMN
クラブATO会報誌でおなじみの読み物
「今月の言葉」が満を持してホームページに登場!
日本語の美しさや、漢字の奥深い意味に驚いたり、
その時々の時勢を分析していたりと、
中々興味深くお読み頂けることと思います。
絞り込み:
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老い
ついしばらく前までは、日本社会のタテマエとしては、年寄りは尊敬され、労られるべき存在であった。年寄りは、経験と知恵によって地域社会に福利をもたらす存在であるし、過去の過酷な生存競争を生き抜いて残った、前世代の少数生存者として「長い間ご苦労様」と若年者から言われる存在でもあった。電車に年寄りが乗り込んでくれば、元気な若者はさっと席から立って、お年寄りに席を譲るのがマナーとされていた。日本の年金制度は、人口のマジョリティである中年、若年層が、数少ない高齢者を養う構造で設計されていたので、集めた年金はジャブジャブ余って、世の中には厚生年金の宿とか言うものがたくさん出来、あるいは、年金ファンドという巨大な投資資金の塊が、株式市場を左右することともなったのである。
だが、周知のように平成時代三十年の間に、日本の人口構成は大きく変化した。年金をもらう人の数が、年金を払う人を大きく上回るようになったのである。いまや、年金を働きのない大学生からも取り立てて、一方で70歳代までは払わないで済まそうという計画が役所の内部で着々進んでいる。
それと同時に、年寄りという者も、社会の中で実は「困った存在」である場合が、続々報告されるようになってきた。
誰もが困った年寄りだと思うのは、高齢で自動車の運転をして、ブレーキとアクセルを踏み間違えて、歩行者の列に突っ込む年寄りである。田舎に住んでいる身寄りのない年寄りは、自動車の免許を返納しようとしても、病院や買い物に送迎してくれるサービスがないと、運転をやめることが出来ない。だが、老いは着実にやってきて、ある日車がものすごいスピードで暴走を始め、止めようと強くブレーキを踏むほどなぜかもっとスピードが上がってしまう仕儀となる。警察の取り調べでも「なぜか車が暴走した」と言い張る。認知症などではなく、正常な判断力がまだあるはずの年寄りも、何かの失敗をしたときに、頑固になる、かたくなになる。その意味では、往年の柔軟性は期待できない。
この稿の筆者の前任者に当たるある役員は、取引先の役所の仕業について、日頃陰で私と愚痴をこぼし合う仲であった。ところが、ある日公式の席上で、突然当該官庁の役人がいる前で、しかも違う話題の議事中に突然「○○官庁はどうしようもない馬鹿役所だ」と言い出して、周囲を困惑させた。
あるいは、この稿の筆者の二十年来通っている飲食店の主人は、老化が進み、毎度客のオーダーを取り違えるようになっても敢然店頭に立って接客を続けている。常連たちの間では、「長い親交に免じて間違いはおおめに見よう」とする派と、「喧嘩にならぬうちに当該店から静かに消えよう」とする派が対立している。これらの年寄りは、社会の中で働いているのが生きがいなので、周囲はできるだけ仕事をさせてあげたいのだが、仕事の場面でしてはならない失敗をすると、周囲は迷惑するし、それが大失敗であれば、やはりご引退いただきたいということになる。
要すれば、人口構成の変化に助長されて、「世に出回る年寄り」という者の比率が増えて、世間の迷惑になり始めているのだ。年寄りを敬うなどときれい事を言って居られる情況ではもはやない。
ひとつの解決策は、幼児における「キッザニア」のごとく、年寄り同士だけで構成する疑似お仕事世界をつくり、そこで、「昭和流儀のお仕事」を楽しんでもらうことだと、筆者は考える。そこでは、「多少の失敗や間違いはリセットできる」新しいルールが必要であろうけれども。
2020年6月1日
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監視社会
今月のお話は、先ず、先回のマイナンバー制度、マイナンバーカードが何故市民に嫌われたか、というところから始まる。昭和の終わり頃にも、当時の大蔵省が名付けた「日本版グリーンカード」という、納税者番号制度、納税者カードの構想があった。当時は、現在ほどコンピュータネットワークが発達していない時代であったから、源泉徴収されない金持ち層の収入を、税務署が的確に把握するのは至難の業。そのときに、自分の所得を正確に把握されたくない人々が言い立てたのが、「そんな制度を作れば、日本は監視社会になってしまう」ということであった。金持ち層に「監視社会」などと言って脅されると、源泉徴収されているサラリーマン層もそんなものかと納得してしまい、構想を潰す方に加担したのである。戦前社会のトラウマからか、日本人は、オカミに自分が何をしているかを知られるのを、人一倍恐れるという性格を持っていると言うべきかもしれない。
話題は所得税から、その「監視社会」に移る。現在の日本が、先進国の中では、未だ世界有数の現金社会である理由は、市民一般が自分の消費に「足」がつくことを本能的に忌避しているからと思われる。要すれば、自分以外の誰かに、自分の支出の内訳を知られたくないのである。中には「カードだと後払いなので思わずお金を使いすぎてしまうから現金がよい」、という人も未だいるかもしれないが、そういう人のためには、預金即時払いのデビットカードなどという便利な仕組みもあって、これと連携すれば、スマホのアプリで自分の家計簿すら自動的につけてくれるようになった。
だが、便利なキャッシュレス社会になってかえって不気味なのは、たとえばamazonで買い物をすると、「あなたの読書傾向にあわせた本」の推薦だとか、「トイレットペーパーはそろそろ切れた頃ではありませんか」と問うてくる、あの仕組みである。私の購入傾向は店側に筒抜けになっており、たとえば一度エッチな本でも買おうものなら、相手は「あなたの読書傾向にあわせて」画面一杯の他のエロ本を勧めてきて、とても画面を同僚や家族に見せられない仕儀となる。
さらに、最近のスマホはGPSという位置探査機能がついていて、原理的にはあなたが何時何分にどこに居たかがわかってしまう仕組みになっているから、会社や家族に秘匿したい(たとえば社内恋愛など、違法ではないが他人に隠したいような)行動をするときには、スマホの電源を切っておかなければ安心できない。もう少しすると、近未来にはAIを駆使することに長けた配偶者を持った人は、貞節の証明のために、スマホの電源をオンにしておくことを求められるようになるだろう。
もっとも、スマホの位置探査機能は、電源を切ってしまえば、それから逃げることが出来る。
しかし、最近究極の「監視社会」を実現する機械がついに現れた。それは各所に通行人の許諾なく「治安のため」に設置される監視カメラシステムである。すでに各所の監視カメラを追いかけることによって、ハロウィンの渋谷で馬鹿騒ぎした者も、皇族が通う学校の机に刃物を置いた者も敢え無く逮捕される世の中になっている。あなたは悪事を働いていないので、それは他人事か、治安がよくなって安心くらいに思われるかもしれない。が、もうしばらくして、AIの情報処理能力が量的に向上すれば、あなたの顔写真一枚(こんなものはあなたに無断でいくらでも撮影できる)を、警察かどこかの奥の院でコンピュータに読ませると、たちまちある日ある時刻のあなたの居場所を割り出すことが可能になるだろう。それはそれで、日本市民の本能に反する、不気味なことと言わねばなるまい。
2020年5月1日
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マイナンバーカード
先ず、はじめに、個人番号制度(マイナンバー制度)というものと、個人番号カード(マイナンバーカード)というものを、分けて考える必要がある。
マイナンバー制度は、2015(平成27)年10月から始まったもので、あなたも私も日本国民であれば、みんなこのマイナンバーを持っている(あるいは、政府によって持たされている)。いわゆる国民総背番号制度である。このマイナンバーを使って何をするかというと、代表的な利用方法は納税である。あなたがもし、確定申告をしている納税者であるなら、この番号を用いて申告をする。あなたに複数の収入源があるとするなら、それぞれの収入源の法人が源泉徴収をする際に、あなたの個々の収入は殆どの場合マイナンバー付きで税務署に申告される。一方の確定申告と源泉徴収の記録を、税務署のコンピュータは照合することが出来るので、申告と本当の収入の間に大きな乖離があれば、これまでより突き止めやすくなる。あなたが給与生活者で確定申告をしていない場合でも、あなたの所属する法人は、しっかりあなたのマイナンバーのデータを持っていて、源泉徴収の都度、マイナンバー付きであなたの収入を処理し、税務署に報告している。なんだか、オカミが市民から税を取り上げるための制度のように見えるので、この制度が導入された当初は甚だ不評であった。が、とにもかくにもこの制度は導入されてしまい、あなたも私もみんなマイナンバーというものを持つようになり、オカミの立場から見れば、制度は「円滑に普及」しているようだ。我々国民にとってこの制度は悪いことばかりではない。社会保険料の納付も支払いもマイナンバー付きで為されるから、あなたが各種の社会保険料制度を渡り歩いていたとしても、いわゆる「消えた年金」は、今後は起きない(だろう)。オカミが税を取りやすくなると言っても、税額をごまかしにくくなるという意味では、正直者が損をしない制度とも言えるので、国民一般に不利という訳でもない。
さて、マイナンバーカードの方は、上記の翌年から交付が開始されたのだが、元のマイナンバー制度の不評もあって、今日に至るもあまり普及していない。普及しない理由は、単純に言えば、「持っていてもあまりトクすることがない」からである。遠隔地のコンビニエンスストアで住民票や、印鑑証明がとれるから便利だというのだが、いままで近くの行政機関に出かけてこの種の証明書を取得するのに不便を感じなかった人も多いので、マイナンバーカード保有の決定打にはならない。
本来このカードを持っていることの意味は「身の証しを立てる」ことにある。だが、本人確認証としてこのカードを使うためには、常時携帯していなければならない。カードを落としたりすると大切な個人番号が他人に知られてしまうというリスクもある。
写真付きの「本人確認証」としては、運転免許証、旅券という先に生まれたライバルが居り、これらのライバルは、自動車運転、海外渡航というキラーアプリを持っているので、マイナンバーカードはかなわない。そもそも、ちょっと以前までは、日本は市民が「本人確認証」を常時携帯していなければならないような社会ではなかった。田舎でマイナンバーカードの普及率が低いのは、「身の証しを立てる」ことの必要が今でも都会より少ないからである。政府は無理にマイナンバーカードを普及させるために、消費増税対策として、このカードを中小の商店で使うとポイントがたまるとかいう馬鹿げた政策をホントに実行しようとしている。だが、そんな姑息な政策を実施する前に、現代の我が国社会で市民が「身の証しを立てる」ことの意味を、もう少し真剣に考えたらどうなのだろうか。
2020年4月1日
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時流
時流に迎合しない、という人は尊敬される。
世の中の若者が、みんな長髪だったときにビシッとスポーツ刈りで通した、なんていうのはご愛敬だが、我が日本では、しばらく昔に巨大な「まちがった時流」を経験している。
言うまでもなく、それは第二次世界大戦に向かう軍国日本の時流である。
世界史の流れの読みとしては、英米仏を中心とする先進資本主義諸国が世界を支配する時代が終わりを告げ、第一次世界大戦の敗戦から不屈の復興を遂げた新興ナチス・ドイツと、アジアの一角で近代化を成し遂げ、強国にのし上がった日本とが手を携えて新しい世界を「取り仕切る」ような時代が来た、という流れである。
国内政治についても、大正デモクラシーに象徴されるような、欧米風の自由主義、民主主義の風潮は「新しい時代に合わない」とされて、軍人風の全体主義がよしとされ、「総力戦遂行」の名の下に、経済統制、思想言論の統制を行うことが、「大東亜の盟主」「新世界のリーダー」である日本にふさわしいとされた。
こうした時流への迎合は、当時日本の哲学の中心地、知性の源泉の一つといえる京都学派にも及んだ。中央公論社が主催し、1941(昭和16)年から1943(昭和18)年の間に三回にわたって行われた、高坂正顕、西谷啓治、高山岩男、鈴木成高らによる座談会の記録「世界史的立場と日本」は、当時最高の知性が、いかに日本の世界史的な立場を意義づけるかという議論にコミットして、後に出陣しいく学徒らに強い思想的影響を及ぼした。彼ら京都学派の(全部ではないかもしれないが主要な)人々に比べ、この激しい「時流」に沈黙し、軍と思想統制への心中の抵抗を隠して、日々を送ったインテリもいるにはいたが、その数は誠に少ないものであった。
第二次世界大戦中に時流に迎合せずに沈黙を守った人々は、戦後、再評価され尊敬されるようになったが、この稿の筆者はそのことを書こうというのではない。第二次世界大戦のはじめ、ドイツや日本が優勢であった時代に、何が「乗ってはいけない時流」であり、何が「ほんとうの歴史の流れ」であったのだろうか、ということを書きたい。
結論を急げば、戦争、軍事、政治といった歴史の表層の動きとは別に、「あんな豊かな国々に戦争を挑んで新興国側が勝てるわけはない」とか、「植民地を基礎としたブロック経済ではこれからの世界はやっていけない」といった科学技術や経済に基づいた、冷静なものの見方をした者が結局は正しかったということを言いたいのだ。サーベルをガチャつかせる軍人への嫌悪感とか、神がかりの皇室崇拝への違和感とかいう、単なるフィーリングで「この時流について行けない」と直感し、沈黙した人はエライには違いないが、そのような時流への抵抗は、言ってみれば、長髪かスポーツ刈りかという好悪の問題とあまり変わらないように思える。
さて、今日インターネットの普及、IoTやAIの導入と言った、生活に身近な技術革新に裏打ちされた、(第二次世界大戦と比べても)もっと大きな「時流の変化」が起きつつある。この時流の中で、何がほんとうの歴史の流れかを冷静に読み取り、これからの私たちの生活をどのように紡いで行くかを考える知性を我々は持たなければならない。さらにいえば、時流を読んで単にそれに乗るのではなく、その先の流れを指し示す勇気と、深い考えを持つリーダーが出ることを期待したいのだが。
2020年3月1日
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ちゃんとした英語
今は昔、ハンニバルのカルタゴを破り、地中海世界に覇を唱えたローマは、カエサル、オクタヴィアヌス(アウグストゥス)の時代を経て、やがて西はスペイン、北はスコットランド、南はアフリカ北部、東は中近東に至る大帝国を建設した。
このローマ帝国の属領統治を可能にしたものは、ローマ人の土木技術、就中ローマ街道の建設であった。ローマ街道は、軍の移動、物資の移動を容易にしただけではなく、帝国の隅々の官吏達とローマ皇帝との通信・コミュニケーションを可能にした。このローマ街道がつなぐ、情報の力こそが帝国統治の力の源泉であった。更に言えば、これらの情報の交換はもちろんラテン語でなされた。ラテン語は政府の公用語であったばかりでなく、帝国領内の様々な言葉を話す人々の共通の言語となった。ローマ国内でも教養ある人々は古典ギリシア語とギリシア人達がかつて紡ぎ出した思想や哲学を学んだが、ローマ帝国内の人々にとって、世界共通語とは、ラテン語のことであった。
さて、現代のことである。
第二次世界大戦に勝利し、次いでソビエト・ロシアとの冷戦の勝者となったアメリカは、インターネットという情報の道を建設し、アメリカ人の話す言葉は世界の共通語となった。インターネットは現代のローマ街道、英語は現代のラテン語と言われる所以である。たとえば、この稿の筆者は、韓国の人々と話す時に、英語を用いる。第二次世界大戦前の日本の韓国統治と、それによって傷ついた韓国の人々のプライドを思い出させることなしに、目前のテーマを話そうとするには、英語が最も適当な言語だからである。が、その時の英語は日韓双方とも「英米文化を背景とした、ちゃんとした英語」ではなく、「世界共通語としての通じる英語」である。
時間的な順序を言えば、まず技術が発明され、それが人々の折々のニーズに合致すると世の中に普及し、技術が世に普及するとそれを上手に使いこなすために、社会制度、ものの考え方、見方(思想や価値観)が変わり、さらには、社会の担い手が変わると、その新しい担い手によって、新しい文化や芸術が生まれるのである。
ところでEFEPI2018という世界統計によると、我が国の英語力ランキングは88カ国中49位で、極東アジア(日本、韓国、中国、台湾)の中では最低の順位である。このまま情報ネットワーク技術が進み、世界が一層インターネットでつながるようになると、この日本人の英語の貧しさでは、世界の国々の人に伍して、コミュニケーションしていけなくなるのは必定である。我々は、古代ローマ帝国で言えば「ラテン語の出来ないフェニキア人」みたいな存在になってしまうだろう。我々がそうなってしまった理由は、日本全国の中学、高校に約6万人いる英語の教師達が、「世界共通語としての通じる英語」を顧みずに、「英米文化を背景とした、ちゃんとした英語」を生徒達に教えようとしたためだと、筆者は思う。我が国英語教育はこれまで、読み、書き偏重であったとよく言われるが、その理由も教員達自身の英会話能力が低いからではなく、「ちゃんとした英語を追求する」あまりのことだと思いたい。文部科学省は、2020年から、大学の入学試験に、英検、TOEFLE、IELTSなどの民間英語検定試験を導入しようとしているが、各種のへ理屈を付けてこれに反対しているのは、これまでの「ちゃんとした英語追求」を墨守したい一部の英語教員達である。
だが、英語はまず「世界共通語としての通じる英語」でよい。現代の英語教員達には、「ローマ街道を旅することが出来る程度のラテン語」を教えることを目標としてほしい。
2020年2月1日
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技術史観
この稿の筆者は、技術史観ともいうべき歴史観を持っている。
人類の歴史を動かすものは何か、というと、偶然か必然かは知らないが、ある一人の人間が発明した技術なのではないかと思うのだ。
たとえば、農業。狩り、漁、あるいは野原の植物を採取して食べていた人類が、あるとき、植物の種を集めて、蒔くという技術を発明する。そこから農業が生まれる。だが、木器や手で土を耕すのはきわめて困難である。その時、誰かが、金属を溶かして鍬や鋤を作ることを発明し、組織的な農業が可能になる。すると、社会の仕組みも、組織的な農業の営みに便利なように、「指示するものと指示されるもの」が生まれ、やがて、王制とか階級制度とかが生まれる。
つまり、道具の発明が初めにあって、社会の組み立てが後からついてくるのだ。けっしてその逆ではない。さらに言えば、人類には身についた「遊び心」「創造心」というものがあって、様々な人が、様々なものを発明する。が、その中から、周囲の人々の折々のニーズに合致し、「これは便利だ!」と言われるような技術だけが、生き残り、歴史を動かす。他の多数の発明は、単なる「遊び」「道楽」の結果として、歴史のかなたに消え去っていくのである。
技術こそが人類の歴史を動かす。深くは説明しないが、近代国民国家とか民主主義とかいう人類が歴史の過程で生み出した概念や思想は、折々の技術革新の産物なのである。
時間的な順序を言えば、まず技術が発明され、それが人々の折々のニーズに合致すると世の中に普及し、技術が世に普及するとそれを上手に使いこなすために、社会制度、ものの考え方、見方(思想や価値観)が変わり、さらには、社会の担い手が変わると、その新しい担い手によって、新しい文化や芸術が生まれるのである。
さて、ここからは、我々にとって身近な、一つの技術革新が、大きく社会を変えた事例を語ることにしよう。それは、避妊具、とりわけコンドームの発明である。
コンドームには、およそ三千年にわたる前史がある。動物の腸や魚の浮袋など天然の素材を用いて、性交の際の避妊や、あるいは性病を避けようとする技術が長く存在したが、一部の階級の遊興目的などに限られ、普及には至らなかった。そもそも、人類の長い歴史の大半では、人口が増えることを(生産力が向上するので)是としていたから、避妊は、不倫など特別な事例を除いては社会の一般的なニーズではなかった。むしろこれら技術の目的は、当初は性病予防の方にあったのかもしれない。ゴム製の工業製品としてのコンドームが本格的に出現したのは1874(明治7)年、現在のコンドームの基礎となるラテックス製コンドームが誕生したのは、1933(昭和8)年のことだそうだ。
さて、この技術が第二次世界大戦後、工業社会が成熟した先進国で、避妊目的で使われるようになるに及んで、社会の性道徳が大きく変わるのである。簡単に言えば、「健全な男女は結婚するまでは、性交しない」という道徳が崩れ、「大人になれば、誰でも好きな相手と性交するのが健全だ」という方向に大きく置き換わった。筆者の若年時代は、まさに嵐のような価値観転換が世界中で起きて、社会の仕組みや道徳が大きく変わっていった時期である。そのことは現在の、先進諸国における少子高齢化といった社会問題に直結している。そして、おそらく避妊具がもたらした新しい問題の解決には、AI、ロボットといった、別の新しい技術革新が求められるのであろう。
註:本稿は、相模ゴム工業のHP「コンドームの歴史」を参考にさせていただいた。
https://www.sagami-gomu.co.jp/condom/history/2020年1月1日
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安田講堂
2019年1月18-19日は、東大安田講堂事件から数えて50年目にあたる。
だが、年齢の若い一般の読者にとっては、なんだかヘルメットをかぶった薄汚い学生と、警察機動隊が、投石と放水で大喧嘩している映像の印象があるくらいで、その事件がなぜ起こり、当時(1969年-昭和44年)の世相の中でどんな意味があったかをご存じない方も多いのではないか。
事件は、簡単に要約して言えば、当時数多く起きた大学紛争のひとつで、1968年2月に東大医学部で起きた無給医制度をめぐる紛争への大学当局の事態収拾が極めて拙劣であったために東京大学全学の学生たちが怒ってしまい、そのうち最も先鋭的であった東大全共闘の学生たちが本郷や駒場キャンパスの各校舎をバリケード封鎖し、新しく代わった大学執行部の説得もむなしく半年以上も封鎖が継続され、大学入試の実行も危うくなったため、ついに1月になって機動隊による学生排除が行われたが、結局政府の強い意向でその年の東京大学の入学試験は行われなかった。この事件を語った書物は多いが、詳しく知りたい方は、かつて本誌「今月の書棚」が取り上げた、小熊英二「1968若者たちの叛乱とその背景」〈上〉、〈下〉(新曜社刊)あたりをお勧めする。実は、本稿筆者の父親は、この事件の大学新執行部の一員であったので、筆者は比較的身近にこの事件のことを知る立場にいた。当時高校生であった筆者が思ったのは、なぜ(安田講堂などを占拠した)全共闘の学生達は、最後まで事態の収拾に応じなかったのだろうか、という疑問である。
大学新執行部は、全共闘の7項目の要求事項の内6項目と半分くらいは呑むと言っていたのだし、これが普通の労働組合のストライキなどであったなら、展望のない施設占拠を続けるより、さっさと交渉で手を打って「大勝利」の宣伝でもするところであるのに、ということに首を傾げたのである。実際民青系の学生達や無党派層の学生達は、最初の内こそ「東大民主化」とか言っていたが、1968年の冬になると、全共闘を排除して事態を「正常化」する方向に走っていた。
では、なぜ全共闘は展望のない闘争を続けたのか。それは、1968年の秋、東大の旧執行部が辞任する少し前頃から、彼らのこの紛争(闘争)にかける思いが大きく変化していったからである。
それは、一つには「日本の権力構造の上に君臨し、庶民の果てまでがその権威に幻惑されている、東京大学という存在そのものを、どうにかしない限り、個々の交渉事に勝利してもはじまらない」という「帝大解体論」の台頭であり、もう一つは、「自分たち東大生は、その権威の源泉である東京大学の一員であり、近い将来、官僚や有力企業の幹部、あるいは社会に影響を及ぼす学者などとして、このまま世に出て行く、それは自分たちの上で強権を振るってきた大学旧執行部と同質の存在に自分たちもなることなのではないか」という「自己否定論」の高まりである。この極めてナイーヴではあるが、ある意味では正しい思いに、急進派のとくにノンセクトの指導者達がとらわれたことが、どんな理屈をつけてでも「事態の収拾」「紛争解決」を拒むという、全共闘の頑なな姿勢となって現れたのだといえよう。一方で「正常化」派の学生達は、思想は右でも左でも、やはり「東大の権威」を守るために行動したのだといえるだろう。あれから50年が過ぎた現在も、我が国における「東京大学の権威」は、やや陰りが見えてきたとはいえ、あまり変わっていない。
2019年12月1日
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撮影現場
この稿の筆者が、以前ビール会社に勤務し、広告主の立場で、コマーシャル制作をしていたことは、すでに何度か書いた。
30年前の当時、テレビCMはCFと言った。CFはコマーシャルフィルム、つまり映画の手法でつくられるものであった。今日殆どのテレビCMは ヴィデオとコンピュータグラフィックスの組みあわせで創られているが、筆者の時代は、フィルム映画型CMのちょうど最後の時代にあたる。日活調布、東宝砧などの映画スタジオにも良く通った。監督、制作さん、照明さん、キャメラさん、音声さん、メーク(化粧)さん、スタイリスト(衣装)さん、ヘアさん等々の大一座にさらに広告代理店の制作者と営業。それに広告主である私が加わって、まあ冷静に考えてみれば贅沢三昧の撮影現場の経験は、今では味わえないものがある。
映画の撮影現場というのは、ある一つの虚構を、大のおとなが何十人がかりで、ホントの世界にしてしまおうとする、なんとも不思議な魔術の世界であった。
たとえば、キャメラに写らない大道具の裏側の本棚も、けっしておろそかにせず本物の書籍を詰める、そうしないと「気分が出ない」という世界なのである。
撮影現場では、まず一本何秒というシーンの撮影が開始されるのに、(それが天気に左右されないスタジオ内であっても)、準備に数十分、数時間はざらにかかる。その主たる原因は、照明を決めるのに時間がかかるからである。ヴィデオが進歩する前のことだから、フィルムは基本的に対象物に十分の光が露出されないと、画面が暗くなってしまう。だから室内のシーンでも十分すぎる照明が当たるのだが、その電器の光が、あたかも自然光と同じような自然な陰をつくらないと「照明が決まった」とは言えないのである。照明さんは、そのために周りの都合などお構いなしに器具を右に振ったり左に振ったり、照度を強くしたり弱くしたりしながら一心不乱に調整する。そして照明が決まったと思うとキャメラさんに「どうでしょう」と尋ねる。キャメラさんが納得すると、今度は監督がキャメラを覗く。監督が納得すると今度は私、広告主の番で、キャメラを覗いて情景を確認し、茶道のお手前よろしく「けっこうです」とうなずく。何故広告主が、キャメラを覗くかというと、私が格別エライからではなく、巨額の広告費を掛けてつくるCFに後戻りはきかないからである。すなわち、広告主が試写を見てから「撮り直し」ということになったら、大損害が生じるので、予め現場で広告主の若僧の「うなづき」を得ておこうという、広告代理店の陰謀によるこの数秒間だけが、15秒のCMを撮るのに一日をかけるCF撮影現場における、私の出番なのであった。そして、いよいよタレントさんの登場。衣装、化粧、整髪によって作り上げられた「虚像」が、何秒かのシーンを演じる。「カァット!」という監督の声。OKかNGか一瞬現場に緊張が走る。現在のように撮ったシーンを、その場ですぐに見直すことは出来ないので、OKかNGかは監督の勘だけが頼りなのである。
なにもかもが人間くさい。そんな時代であった。
2019年11月1日
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二つの日本
話は平安時代にさかのぼる。
平安朝の初め、律令に基づく口分田(人民に一律給わる農地=国有地)は、西日本に偏在していて、関東平野から東の耕地は少なく、未開の原野が広がっていた。京都の朝廷が軍を催し、蝦夷を征伐しながら東進すると共に、西日本の国有農地を逃散した農民や、朝廷の政策で植民された朝鮮半島の人々などが東日本の未開の原野を開拓し農地化していった。開拓地では、すぐに境界争い、水争いなど命がけの暴力沙汰が起きた。現地には、ぬきんでた実力を持つ調停者はいなかった。人々は、やがて京の貴族や寺社などに形式的に開墾地を寄進し、自分の土地を貴族の荘園とすることで保護を求め、境界争い、水争いを有利に導こうとした。東日本の土地はこのように、農民から見れば世を忍ぶ仮の姿として荘園になったのである。京の荘園主は土地を保護する代わりに、農民達を武装させ、京での彼らの警固や、争いごとへの武力サービスを求めた。武士の誕生である。その後京側の過剰なサービス要求に耐えかねた関東の武士達が、天下りの貴種(はじめは平将門、後には源頼朝など)を擁して武装決起し、関東を中心に自力で争いごとの調停役を立てたものが将軍であり、将軍による調停機関が幕府。幕府が荘園に派遣する代理人が守護、地頭である。
(ここまでは以前の本欄でも述べた)
守護や地頭は、鎌倉時代以降西日本の荘園にも派遣された。だが、西日本ではだいぶ事情が異なっていた。そもそも、西日本の荘園は、農民達が自力で開墾したものではなく、平安時代初期の国有農地が次第に京の貴族や寺社によって私領化されたものであって、武装農民が決起して自らの調停機関を立てるような事情にはなかった。守護地頭は鎌倉から派遣されてきたが、新たな権力者である幕府が武力を持っているから農民は彼らを受け入れたのであって、積極的に来てほしいと頼んだのではなかった。むしろ心情的には、旧来の荘園主である京の貴族や寺社、さらにその上に君臨する天皇の方が、西日本では親近感があり、敢えて言えば、幕府は西日本では心理的に遠い存在であったとも言える。
戦国時代の終わり、覇者豊臣秀吉は(偶々出自が低く、将軍にしてもらえなかったという事情はあるが)幕府を立てず、関白として疑似朝廷権力を摂り、その豊臣政権(公儀と呼んだ)を関ヶ原の合戦後微妙に換骨奪胎し実権を握るために、徳川家康は征夷大将軍となり幕府を立てる道を選んだ。秀吉は概して西日本で人気があり、家康は主に東日本で支持された。
さて、以上のことは明治維新の今日での評価を二分するものであることを書きたい。
戦後七十年を経て、もはや明治維新について薩長史観も徳川史観も、どちらが公式の歴史観かを争うような時代ではなくなってきた。にもかかわらず、昨今の時代劇や歴史小説を読むと、「明治維新の時、徳川幕府は因循姑息で新しい時代に耐え得ず、外国勢力と結んで国を危うくするおそれがあったので、薩長が天皇を中心に新しい権力を打ち立てた」説と、「江戸時代を通じて徳川幕府は社会の緩やかな近代化に成功しており、幕末開国後の外交にも大過はなかった。明治維新は外国に使嗾された薩長の権力奪取の陰謀に過ぎない」説が拮抗している。どちらも背後で英仏と手を握りはしたが、日本の独立が破れる直前で手打ちにしたことは周知の通りである。が、上記両説の背景に、西日本と東日本の感じ方の違いを見るのはこの稿の筆者だけだろうか。
2019年10月1日
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方法論
1960年代の後半、この稿の筆者が高校生だった頃に、我が高校にちょっと変わった、世界史の若い先生がいた。その先生は、東大の大学院のたぶん博士課程くらいの院生だったのだと思う。専攻は東洋史で、中国の農民叛乱の研究をしていた。
で、私たちの教室に来ても、彼は中国の農民叛乱の話しかしないのである。中国の王朝は古今必ずと言ってよいほど農民叛乱で倒れているから、上は秦代末期の陳勝・呉広の乱から、下は清代末期の太平天国や義和団の乱まで、ちょっと詳しく語れば一年はすぐにたってしまう。 先生は涼しい顔で、学年末に「ちょっと中国を詳しくやり過ぎたから、あとは教科書を読んどいて」と言って、狭小な範囲の世界史の講義を閉じたのであった。
彼の講義自体は素晴らしいもので、私たちは中国各王朝の郷村管理のやり方から、専売制、結局何故農民は反乱を起こすのか迄すっかり詳しくなったが、一方で、インドのことも朝鮮のことも殆ど知らない高校生となった。
そして、受験がやってきた。筆者は、世界史が大好きで、得意でもあったので、国立も私立も社会科は世界史を選択することにした。と、言ってもこのままでは、世界史の受験をしようがない。別の事情があって、筆者は高校3年の6月まで学園祭だの何だのにかまけていたので、時間は7-8ヶ月しかない。そこでまず当時中央公論社から刊行されていた堀米庸三編「世界の歴史」全24巻というのを親に買って貰い、全巻読破することにした。これにも訳があって、机に向かって英語だの数学だのほかの受験勉強をしていると程なく飽きてくる。そこでテレビを見たり、漫画を読んだりしてしまうと勉強にならないので、ベッドの上にごろごろしながら、「世界の歴史」各巻を読むのである。これは楽しい営みであるから、勉強を放棄しないでうまい具合に実質休憩することが出来る。全24巻は、だいたい秋頃には読了したのだったと思う。幸い「世界の歴史」には、インドのことも朝鮮のことも書いてあったから、ムガール帝国や李氏朝鮮も頭に入った。最後に王様の名前や歴史上の各事件の起きた年などは、丸暗記するしかないので、1月になって入試が近くなってから、代々木ゼミナールの一日中一週間で全世界史をやる「武井の世界史」というのに通って無理矢理頭に詰め込んだ。(もちろん試験後すぐに暗記したことは忘れてしまったが)
そして、この稿の筆者は無事その世界史で、程々に点を取って、程々の私立大学になんとか潜り込むことができた。
この世の人々は、学校の授業を評価するときに、すぐに「それは受験に役立つか」を問おうとする。その基準で言えば、上記の中国の農民叛乱だけの授業など、受験には、何にも役立たない。だが、この稿の筆者は、「世界の歴史」全24巻がすいすいと頭に入ってきたのは、彼の東洋史の先生が、「歴史にアプローチする方法論」を中国の農民叛乱というサンプルを通じて教えてくれたからだと思っている。人知の範囲は無限であって、その全てを学校教育で教えることは出来ない。ならば、学校が教えるべきなのは、「知にアプローチする方法論」であって、大量の知識ではないのではないか。
2019年9月1日
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名古屋の嫁入り
今から、約四十年前のこと。この稿の筆者は、ある中堅の飲料メーカーに就職して、名古屋支店に配属された。支店は、市内中心部の栄、独身寮は栄からバスで15分くらい行った鶴舞公園の近くにあった。ある日のこと、独身寮の近くの住宅地を、子供たちが「お嫁さんだ」と叫びながら駆けていく。すると、箪笥などの嫁入り道具を2トントラックに積んで、紅白の帯を掛けたものが、後ろにトヨタの新車を従えてやってくる。花嫁御寮のご実家の前に止まると、そこで花嫁の父に当たるらしい人が、集まった近所の人々や子供たちに簡単な挨拶と道具の披露。そして、2トン車が新郎新婦の新居に向けてスタートすると、子供たちのお目当て、吉例の餅撒きが行われ、子供たちは三々五々菓子袋などを拾って帰るのである。
この道具の披露と道具の移動というものが、当時の名古屋の風俗に於いては、きわめて特徴的であった。新婦の家が金持ちであったら、結納に併せてホテルの部屋を借り、親戚一同に道具の披露をするし、新婦の家が貧乏で、近所にお披露目をするのに十分の道具を調えられなければ、金持ちの家の道具を借りて、「見せ道具」ということを行った。何故新居に運んだはずの道具を、実家が貸すことができるかというと、すでに名古屋でも核家族化は進んでいて、新郎新婦の新居なるものは、社宅、あるいはマンションやアパートであり、要するに金持ちがホテルで披露した道具を全部収納することは不可能だったからである。入りきれない道具は、実家にそっと戻され、それを第三者に貸す商売をする家もあったというのが真相である。当時(昭和50年代)、名古屋地方では、「在所」と呼ばれる嫁側の実家が、生まれてきた孫の七五三までの諸掛かりを負担するという習慣があった。婿側はと言えば、せっせと在所に足を運び、在所の両親が「我が家はこんな立派な婿殿に娘を嫁がせている」と近所に自慢できるようにしなければならない。だから、名古屋大学を出て、東海銀行、中部電力、中日新聞など地元の有力企業に就職している婿殿は価値が高く、いくら有名企業でも日本銀行とかNHKとかは好まれない。何故なら転勤が多く、在所の側が婿殿を自慢する機会を逸失する可能性が高いからである。
名古屋においては、道具の披露も、婿の自慢も、いずれも「在所の近所に対する見栄」によって成り立っている。日頃は、家計をうんと引き締めても、それは近所への見栄を果たすための資金づくりなのであって、いざ嫁入りともなれば、周囲に道具を見せ、披露宴の引き出物も「しーっかりと大きいものでにゃあとよう」という客人のニーズを満たすものを用意しなければならない。
この稿の筆者は、引き出物が出ない披露宴があり、招待された客が怪訝に思いつつ帰宅すると組布団が届いていたという話を知っている。また、名古屋人の仲人と、東京者の新郎新婦という組み合わせで、新居に家具を適当に調達して運び込んだところ、「仲人の立ち会いもなく、勝手に道具を搬入したので、仲人の顔をつぶされた」と怒られ、仲人を降りる、降りないという騒ぎになって、道具搬入をやり直したという例もある。名古屋に於いては、道具の移動こそが、結婚の神髄であったのだ。はたして、今もその習俗は続いているのだろうか。
2019年8月1日
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法律の知識
かねて疑問に思っていることがある。中学校、高校で法律をどのくらい教えているか、ということである。たしかに憲法は多かれ少なかれ、教わる。内容はだいたい基本的人権や三権分立(世界の民主主義国家に共通する項目)と、象徴天皇制、戦争放棄、議院内閣制(我が国に特徴的な項目)くらいである。だが、憲法の諸項目は、日本という国家がどう組み立てられているかを知る上では、重要だが、正直に言えば実際の市民生活からは、やや感覚的に遠い。
この稿の筆者が問題にしたいのは、市民生活に密着し、誰もが直接お世話になるような法律が、大人になるまでに教えられているかということである。成人年齢は2022年から18歳ということになるらしいが、市民生活に関係の深い法律を知らないまま成人になる者が増えるのを危惧するのである。
たとえば、以下のような法律の定めは、学校で教えられているのだろうか。
まず、民法。婚姻、出生、死亡の手続き、離婚に関する定め。何歳から自分の判断で結婚できるのか、夫婦間の権利義務、姓に関する法の定め、相続に関する原則、遺言、墓や祭祀に関する定め。
次に、労働三法。大半の国民が成人になると誰かに雇用される社会であるわけだから、労働時間、休暇、残業、定年などに関する法律の基本的な定めは知っておく必要がある。正規雇用と非正規雇用のちがい、契約社員の権利等。世間のブラック企業は、従業員が法律をよく知らないのをよいことに、違法な雇用形態を違法と思わせないで押しつけたりするわけだから、こちらも「市民の常識」として、労働関係の諸法規を知っておかなければならない。
さらに、年金関係の法令。年金のお世話になるのは、何十年も先かも知れないが、社会保険を負担するのは成人になってすぐだから、払う側の立場として年金の仕組みは知っておかなければならない。国民年金、厚生年金と共済年金の区別。年金は、何歳からどれだけ貰えるのか。そして健康保険や介護保険の仕組みなど。年金請求の手続き。そして、お金と言えば、税法も少しは知っておいた方が良い。所得税、住民税、消費税等の税率と徴税のやり方、不動産を所有していれば、固定資産税なども負担するわけだから、それぞれの仕組みがどうなっているのかを知っておく必要がある。
最後に、道路交通法や刑法。これは、市民として「知らないうちに法を犯している」リスクを避けるための、最低限度の知識が必要である。刑法をよく読んでみると、「え?こんなことが犯罪なの?」という条項に遭遇することも多い。道路交通法に至っては、貴方も私も、毎日1回や2回は法律違反を犯しているかもしれないような、現実とかけ離れた法律である。自分では正しい行いをしているつもりでも、知らない法律に違反して、裁判所のお世話になることもあるだろうし、他人から訴訟を起こされることもあるだろうから、刑事、民事の訴訟法(裁判)の知識も少しは必要である。
この稿の筆者の提案は、高校1年か2年頃に、週2時間「市民のための法律知識」というような授業を必修で行うべきではないか、というものである。
2019年7月1日