この稿の筆者が宝塚歌劇団とご縁を持ったのは、1980年代。今も大女優として現役で活躍されている二人のトップスターを、自社のコマーシャルに起用したときのことである。本誌読者もご高承のとおり、タカラヅカは女性だけで成り立っている舞台演劇である。ほとんどの場合、やや演劇性の強いミュージカル(たとえば「ベルサイユのばら」などが有名)と、歌と踊りの華やかなレビューの二部構成の公演である。そもそもタカラヅカを好きな方は、熱狂的なあこがれの目で半ば宗教の信者のごとく舞台のスターたちを見ており、一方タカラヅカに興味のない方は全くこの不思議な世界を知らないので、仕事でこの世界とご縁が出来て比較的冷静にこの世界とつきあう例は少ない。
飲料メーカーの宣伝担当であった筆者は、それまでも大手の芸能事務所や、劇団などに所属するタレントと一緒に仕事をする機会は多くあったが、それらに比べても、タカラヅカの仕事はとても特異な経験であったと思うので、今月はそのことを書いてみたい。
筆者が思うに、タカラヅカと他を隔てる特徴の最たるものは、徹底したスターシステムと組織性にあると思う。この「スターを見せるための演劇」が、タカラヅカの場合極端であって、誰がトップスター、誰が脇役、誰がその他の端役(音楽学校を出たばかりの下級生)ということが予め決まっていて、作家は台本に合わせて配役をするのではなく、あくまでも花組、月組・・という劇団組織の内部の「組」の中の出演者の位置にあわせて、台本を構成するのである。レビューの場合はそれでも良いかもしれないが、ミュージカルの場合は時としてこのやり方は舞台の演劇性(ドラマトゥルギー)を損ないかねない。タカラヅカの嫌いな方が、往々にして「あれは演劇ではない」などと心無い批判をするのは、この極端なスターシステムの故であると思われる。一方で、ファン側の心理としては、端役(下級生)の頃に自分が見出した、才能あるスターの卵が、時を経て「組」の中で出世を遂げ、やがてトップスターに成長していくのを見ることこそが、タカラヅカの得も言われぬ楽しみなのであり、ミュージカルのドラマトゥルギーなど知ったことではないのである。
スターシステムは、そのままタカラヅカのビジネスモデルとも直結している。タカラヅカの舞台を良い席で見ようとする場合、一般のオペラや演劇とちがって、劇場や劇団からネットなどを通じて切符を買うのではない。何故ならば良い席のほとんどは予め個別スターの後援会が抑えていて、ファンたる者は劇場入口に各々机を出している後援会からあらかじめ予約しておいた切符を受け取る仕組みになっているのである。これは、古来の相撲茶屋や芝居茶屋のような販売代理店方式をやや近代化した「スターに切符を売らせる」方式であり、タカラヅカでスターに出世するためには、才能だけではなく、切符を売る力も必要なのではないかと疑わせるものでもある。
最後に、「裏の世界」のことについても少しだけ書いておきたい。宝塚音楽学校を卒業した者が、全員トップスターになれるわけではないから、「組」の中では出世できずに途中で消えていく者たちも多くいる。そういう世界では、上級生が下の者に追い越されたりする場合、強烈な嫉妬が起きることは想像に難くない。だから、強固な表面の組織とはウラハラの裏世界では「ホシの数よりメシの数」の論理が貫通していて、上級生の非合理な要求にも従わざるを得ない「文化」をよしとする風潮がないとは言えない。「それがタカラヅカの強み」という者さえいる。先年起きた、「組」内のある種のイジメに起因すると思われる不幸な事件には、この「文化」が背景にあるのではないだろうか。
今月の言葉
2026年4月30日
タカラヅカ
