長編歌謡浪曲
一人で自動車を運転していると、ふと眠気が兆す時がある。そういうときには、車を路肩に止めて、ひと休みするのが作法であるのだが、そのひと休みが終わって、さて再度出発というときに、眠気覚ましの音楽というのを掛けることにしている。そういう時には、わが青春の・・なんていう楽曲は思わず気持ちよくなってしまい、その世界に引き込まれてしまいそうで眠気覚ましにはならない。かといってヘビーメタリックのロックなんぞはうるさいだけだし、帝国陸海軍のラッパや軍歌は、眠気は冷めるだろうが、なにか右翼の街宣車みたいでぞっとしない。そこでこの稿の筆者が、いつもそういう時にかけるのは、三波春夫の長編歌謡浪曲集である。
三波春夫は1923年(大正12年)新潟の生まれ。三波春夫と言えば、「東京五輪音頭」(あゝあの日ローマで・・)や「万国博覧会音頭」(世界の国からこんにちは)が有名だが、彼の本来の持ち味は、浪曲師南條文若時代のキャリアを生かした、「浪曲のような歌謡曲」すなわち長編歌謡浪曲にある。とくに赤穂義士銘々伝にあたる「俵星玄蕃」や「赤垣源蔵」、そのほか「南部坂雪の別れ」「ああ松の廊下」など忠臣蔵ものは作品数も多く、まさに彼の真骨頂といってよいだろう。
この稿の筆者の幼時、物心つかない頃、むずかって泣いていても、浪曲の好きなお手伝いさんがラジオで浪花節をかけていると、いつの間にかおとなしくなってラジオに聴き入っていたというから、もしかすると浪曲の節回しが筆者の体質に合っていたのかもしれない。が、物心ついてからの家庭は洋楽一辺倒、日本の歌謡曲すら親はまったく好いていなかったから、三波春夫作品に近づく機会はあまりなかった。それが、大学に進学して入った放送のクラブの後輩に、三波春夫氏の令息がいて、ひょんなことから彼の作る歴史ラジオドラマ作品に筆者の出演(たしか大谷刑部少輔か何かの役だったと思う)を依頼されたりした経緯もあって、三波春夫歌舞伎座公演に出演する令息のほうの楽屋見舞いに出かけたりしてご縁ができた。我が家の祖父のところには、そのころ毎月松竹から歌舞伎座の切符が届き、歌舞伎公演の時はだいたい祖母や親せきが(たまには筆者もお供して)その切符を使うのだが、8月の三波春夫公演の時は、三波春夫の超大ファンである祖母の家の年老いたお手伝いさんがぜひ行きたいと言うので、楽屋見舞いを兼ねる筆者と二人で出かけたものだ。筆者は、令息の楽屋を見舞い、さっさと公演の席に戻ろうとしたら、スタッフの人に引き留められ、主演の三波春夫氏が廊下を通るから、というので待っていると、令息の先輩ということでとても丁寧に挨拶をされて、若造としては恐縮してしまい、また同伴のお手伝いさんにはえらく面目を施したものだ。三波春夫の長編歌謡浪曲を聞いていて、演出面で特徴があると思ったことが二つある。一つは、主人公があまり有名な人でない場合、必ず歴史上の有名人物の名前(たとえば大石内蔵助)をさりげなく挿入して聴衆の興味を引くことと、「雪を蹴立ててサク、サク」とか、「連銭葦毛にうち跨りパパパパパ」とか擬音がうまく挿入されていることである。いずれも、浪曲の演出の系譜をひいたものなのだろうと思っている。
2026年1月30日
